Right to Light

陽ととなり

重力に逆らうわ

鬱が来る。春だからね。夏の鬱が『絶対に始末をつける』というある種の覚悟と方向性が決まっているのに対し春の鬱は最早ひたすらに後ろ向きに『因縁を殺しにかかる』という意志で染まってしまうのが嫌だ。なぜなら疲れるから。(秋冬の鬱も『あの頃が良かった』という現在の否定を含んでいるので疲れる。)意志だけが先行して精神と体力が追いついていない心境はただただ疲弊していくだけなのだ。春は嫌だなぁと思っているので振り返ってみると私はこれまで何度も春は嫌だなぁということを言っていた。

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輝きたい愛されたい - Right to Light

No one knows,yet - Right to Light

遺してきた嫌だなぁという思い達。始末に負えない。どれも春の兆しを感じた途端に情緒が乱され壊されている。こんなものを遺すな。というかこれまで4月に入ってから感じていたものを3月早々の今もう感じてしまっている。感傷の加速に慄け。

 

何にそんなに情緒を乱されているのかと言えば広い世界で自分の気に入らないことが多いからで、じゃあ何がそんなに気に入らないのかと言えば一言で言えば『自分の思い通りにいかないから』だ。ただ仮に全てが『自分の思い通りにいった』としても人(私)は必ずそこに不満を見出す傲慢な生物であるから、やはり一言では済ませずにもっと細分化して“らしさ“にする必要がある。必要があるというのは良い。

 

タイミングの悪い連絡だったり急に気だるくなる気温だったり、これらは体の良い言い分で、意を介さずに言えば関係の公平さの欠如、安全圏からの物言いは卑屈な私に向ける態度としては著しく機嫌を損なう。気に入らないねぇ。『君がどうして自然体でいるのに私は同じ態度ではダメなのか?』『割り切る自分を上に置いているからそうゆう態度なのだ』公平さを欠いた関係から生まれる言葉に私はどうしても価値を見い出せない。吐く言葉全部に自信を持てないと私は気持ちが悪くなる。あぁ、今気付いた。私はやっぱり昔のまま自分を必要としてくれていないと落ち着かないのだ。口だけならなんとでも言える。だからこそ、関係と態度でそれが感じられないと嫌なのだ。だから気に入らない。その態度もスました顔も、この関係も私の言い分もとにかく全部が気に入らない。

 

これは気が遠くなる平行世界の中で断言出来ることだが、自分を救うタイミングを私はいつかの春に逃しているのだ。大舌戦の行く果てに得たものは変えられない自分の愚かさと人に抱く不信感だけだった。そのいつかの春の残滓が今こうして私にまとわりついて情緒を穿つ。この心をなんとせう。

 

諦めがついたらいなくなってしまおう。仕事も友も恋も愛も行く道も来た跡も家族も負い目も罪悪感も、嫌になることからは逃げられない。幸せは生活を埋めない一方で苦しみはどんな時も隠せない染みになる。だからいっそだ。その方向で決めてしまおう。それまではただ素直にひたむきにいたい。

 

ラブホと花見に行きたい。許容値を超えるアルコールで理性を壊してドラマを垂れ流して部屋でカリンバを弾いている。