Right to Light

陽ととなり

浅く愛して黙らせて

誰かといっしょにいた分だけ、人と話した分だけ私は自分と話さなければならない。それは己の中の反省会の意味もあるし、その人から得たエッセンスを自分の中に組み込みたくて、仄かな残滓を感じたいのかもしれない。

 

別に隠してる訳では無いのに、私はそもそも自分の話をするのが苦手だ。それは人に判断される恐怖があったり内面を知られることで何か悪い作用が起きるかもと思ったり、そもそも話したところで今抱えてる問題が消える訳じゃないと諦めている部分もある。私の悩みは私のものでしかないのだから、私じゃないあなたに何がわかる、といっちょ前に高いプライドを持っている。とにかく、自ら何かを打ち明けるのがいつまでも上手くならない。出来ないことをやろうとしないのでいつまでも出来ないままだ。どうして私はいつまでも変わらず生きているのだろう。いつまでもいつまでもいつまでも。いい加減にして欲しい。

 

雨の中を車で走っていたら涙が出そうになってきた。情緒が不安定だ。楽しさの中でも私はひとりだと、そのひとりだということを誰にも打ち明けられないのだと、自己完結してループする悩みは私を蝕む。いずれこのループから抜け出せることは経験的にわかっているのだが、雨がいずれ止むからといって、今降っている雨が気にならなくなることはない。必要なのは傘か、あるいは雨の捉え方を変える手段なのだ。まあもしかしたら止まないのかもしれないが、それはあまりにも地獄なのでその可能性からは必死で目を背けている。

 

私だって普通に生きたかった。自分を普通だと感じてみたかった。でももうこの生き方しか出来ないのだ。この生き方すら否定されるなら、私はもう生きていたくない。何が正しいのかわからない。前にも言った記憶があるが、あまりにも自分の失敗が続くと尊厳は勝手に消えていく。「次は上手くいくかもしれない」は「きっと次も駄目だろう」に自然変わっていくのだ。自分の能力や性格に限界を感じる最近だから、よりその思考は強く濃く固まっていく。自分には何も無いと、卑下でも自嘲でも自傷でもなくフラットな気持ちで言えてしまうのだ。

 

自分の良いところがもっと自分でわかったら良かったのに。ないものねだりを繰り返しても人はあるカードで采配していくしかない。羨みながら、嫉妬しながら、憎しみながら、叶わないと知りつつも夢を見てやっぱり叶わなくてまたへこんで、そういう人生を送っていくしかない。春の雨は吐き気がする。疲れているからよく眠れそうだ。起きたらループから抜け出せることを願って、見る夢に一縷の救いがあるといい。