Right to Light

陽ととなり

それでも「過去を蔑ろにするな」と私は言った

後悔の多い人生を過ごしてきた。全く殆どの人がそうだろうけど、それならここまで人を悩ませる事象が普遍的に存在するのだから、そろそろ克服する手段が生まれてきてもいいのではと思う。だがしかし一方で「後悔の無い人生はつまらん」とも思うのだ。私達は今だけを生きているのだから、未来の後悔を先んじて潰そう等と考えるのはある意味自らの意思を失くしているようにも見える。膨大な分岐の中で、1番したいことをしたらいい。しなければならないこと、せざるを得ないことをするといい。とすれば過去を消したいと思うことはその分岐に立ち、ひと時でも苦悩し判断をした(させられた)自分を軽んじることになる。だから私達は、だから私は、自らの下した決断にあの時ああしておけばよかったと弱々しい口調で零すのだ。過去は消せないなら付き合っていくしかない。付き合っていくのなら愛でていきたい。

 

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学生時代に行ったUSJのロイヤルスタジオパス。まだ私が進んで誰かと仲良くしようと振舞っていた頃のもの。これを見る度に自分を変えようと努めていた頃を思い出しもう当時のように柔軟な考えや姿勢にはなれないなと肩を落とす。

 

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当時憧れていた人から貰ったバレンタインに付いていたメモ。自らを据え信念を持つその人のように結局私はなれなかった。その事実にまだ苛まれる。まだどこかでその姿に未練があるのだろう。しかし最早そうなろうとする意志の欠片もない。負の事実だけを突きつけるこんなものを捨てられずにいる自分が女々しくて嫌いになるが、捨ててしまうとその人との繋がりや当時の自分の思いまで切られるように思えてしまう。

 

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直近。偶然に出会った人に想いを抱き初めていっしょに行った公園で撮ったもの。この写真を撮った帰り道に2回目のデートの承諾を貰うも、翌日に返信は途切れそれから1週間後にその約束も断られる。今じゃ連絡を取る術もない。データなのだからとっとと消してしまえと思う。私がもっと自分に素直でいられたらとか相手を気遣えたらとか後悔だけを想起させる写真。戒め。

 

なりたい自分とそうなれない自分の狭間に立たされると、私には何も取り柄がないと今まで生き方を後悔する。自分には出来ないことをよく知る誰かが苦労して成すと、私はなんてダメなんだとこうなってしまった遠因に後悔する。勝手に人と自分を比べて勝手に劣等感を抱き、吐き気を覚えて理性が壊れてクールじゃいられなくなることが最近多い。なりたい素直な自分には理性と余裕が必要で、だけど現状心に余裕なんてどこにも無くて、片輪だけで自分を立たせようと無理して失敗してまた劣等感を覚えて……こんなにも生きるのが下手くそなのかと考えこんでしまう。ここですり減らさず考えこんだとしても直ぐに立ち直れたらそれだけでもう少し明るく生きられるのに……私の生は後悔とないものねだりが常になってしまった。ひとりでいる限りはまだ楽に悩めるが社会に出る以上そうはいかない。どうしたって私の上位互換の人なんて山程いる訳で、そういった人達を見る度に私は何も頑張ってないなと固まった表情の下で何万回と自分のした選択と後悔を考える。私が過去にコミュニティからドロップアウトした経験があるからこそ余計に劣等感は拭えない。

 

いつかどこかで理性の一線を超えてしまったらと思うと恐怖でしかない。そうなった私は誰にも関心を持たず親友ですら遠ざけ劣等感から自分を守る択を取ってしまうから。もしそうなってしまったら、本当の孤独だけが用意された一本道だ。そこで私は人ではいられない。

 

時間が傷を癒すなんてことはある程度までの嘘だと思う。朝起きる度に、誰かと会う度にどこかに傷は増える。この黒く渦巻いた感情を拭う方法なんてないのかもしれない。だからやっぱり心のどこかで、『やり直せたら』と思ってしまうのだ。