Right to Light

陽ととなり

クラブハリエのリーフパイは美味しいという話

モラトリアムを拗らせ半ば自暴自棄気味に生きていると、いつか徹底的に精神が腐るのではないかと思う。例えば休日にすることも無く家にこもってTwitterのおもしろ動画を再生し続けたり、運動しようと意気込む内にタイミングを逃し日が沈んでいくのを気落ちした頭で眺めたり、そんな何の生産性もない日々をほんの1日2日過ごすだけでも、自分はなんて何も無いからっぽな人間なのだろうと嫌になる。働いていた方が(良くも悪くも)刺激的になると更に空虚に拍車がかかって、もはやこの歳で隠居かとでも叱責したくなる休日になってしまう。それは嫌だ。人はいつか死ぬ。必ず死ぬ。やりたいことはあるにはあるがそれには思いだけではダメだ。片輪の荷車は走れない。もう片方の車輪もハブだけではダメだ。時と金、両方が揃ってはじめて役割を果たせる。今は時間はあっても金が無い。嘆かわしいもので荷車はいつまで経っても走れない。金があっても使えない程の忙殺、時間を生んで片輪が完成したと思いきや今度は気力が無く結局走れない。上手くいかないものだ。

 

人はいつか死ぬ。会いたい人には会いたいし寂しさを埋めたい。バンジージャンプもまだしてない。女装もしていないしミイラ男の仮装もしていない。美味しいお菓子を作りたいしMCUの結末も観ていない。料理も練習中だ。お菓子作りに比べれば味見が効くので作っていてスピード感があって楽しい。決まりはなく勢いで作れる。自由だ。そう、自由でいいのだ。過程も結果も求められない。必要なのは空腹だけ。こんなシンプルなことで楽しんで幸せになっていいのかと叫びたくなる。料理と言えばメイドカフェだって行きたい。オムライスにケチャップでペンギンを描いて欲しい。目下1番のしたいことはメイドカフェに行くこと。これだってやろうと思えば明日にでも叶うのだ。実現が1番手元にある。思いもある。時間もあるし金もある。阻むのは後1歩の振り切りか、言うなれば荷が重くて動かないと言ったところか。きっと知らない世界がそこにはある。メイドカフェに行ったことのある人生とない人生だったら、断然ある人生の方が面白そうだ。理由なんてそれでいいのだ。もっと自分の好奇心や意欲を信じていいのだと最近考えるようになった。付き合っている人、定めた価値観、得た技術、選んだ自分を信じて良いのだ。だから僕はメイドカフェに行く。行くったら行く。今週末にでも。

 

食後にクラブハリエのリーフパイを食べた。いつ食べても美味しいよね。

f:id:HikaruRightman:20190715224242j:image

コーヒーと一緒なら無限に食べられる。

 

他愛のない日常のことは書くのが難しい。