Right to Light

陽ととなり

藍の染め直し

自分でも不思議に思うくらい気持ちの上がり下がりに戸惑っている。ここにこうして毎夜の如く鬱憤なり疲弊なりを垂れ流すのは私にとってはデトックスであり承認欲求を満たすリストカットでもある。今日は職場の人が急に来れなくなった件を朝に聞いて、こんな自分でも人の心配が出来るのだなと日がなじんわりと噛み締めていた。それは傲慢故の他人事であることはわかった上で、いざ自分がその境遇に落とし込まれたらどんな辛苦だろうと想像に易かったから。人を心配したり大切に出来る人はきっとそう扱われて生きてこられた人なのだろうと小学生のような気付きを得る。そこに皮肉や嫌味は一切無かった。誰もがもがき初めてばかりを経験し糧として生を過ごしているのだ。なんて素敵な営みだろう。つい昨日までは生の途方の無さに絶望していたはずなのに今夜はそう思う。一体私の中に私は何人いるのだろう。この気持ちがすっと続けば良いのにと思う。でもいつかの夜と同じで必ず終わってしまう。明日にはまた違う私がこれまでと同じような絶望を背負って未来を暗く見据えるのだ。それもまた傲慢故。久しぶりに自分の顔を見た気がする。一時よりだいぶマシになった。生活は続く。月が変わったらお金の管理をもっとしっかりしようと思う。未来に絶望はしていても備えることは出来るらしいから。散らかった部屋を片付けて増え過ぎたものを整理して趣味に謳歌しようじゃないか、今夜の私がそう思える、それだけで良い。これが足るを知ることの一歩だ。そうしていくうちにいろいろな場面で余裕が生まれてくるはずだろう。なにも無いからこその楽観主義も悪くはない。そう考えれば良い刺激をもらったばかりだ。良い歳して年相応に早熟な奔放さ、違って良かった。違うから良かった。ものごとの良い面を見ろと言うとピーナッツバターサンドの残りを投げつけられるかもしれないが、こうやって少しずつ積み重ねてみることにしよう。とりあえず今夜はそれでゆっくり眠れる。必要にも欲求にも駆られることなく満たして終わる。私は今ようやく帰ってこれた気がするよ。人と会う度に自分の難儀さを味わい咀嚼して消化して生きていく。今の気持ちのまままた沈んでいければいいのにと心の底から願う。言われてもいないことを感じ取って勝手に人を不愉快にさせるのは良くない。聞きたくないふざけた台詞は聞かなくていいし見たくもない醜態はこの恥晒しめと罵って良いと思う。そういう自分を時間をかけずに許せた時にまた第三の目線と広がる景色があるだろう。私は海面を目指していたつもりだったけど、なにもそれだけが流れじゃない。生命を続けていく。