Right to Light

陽ととなり

そうして私は話せなくなった

何度目かわからない嗚咽。気候は涼しく息苦しい。春は鬱、秋は恋しさ、どちらの似た気候も、情緒を縛る双子の姉妹みたいだ。帰ったら泣くつもりでいた。やっぱりこうなるんだと泣くつもりでいた。知っていたはずなのだ。もう今更、どの夜も既に出た答えの裏付けにしかならない。なのに帰ってきたこの時間でも家の明かりはついていて、部屋には私じゃない人がいる。だから泣けない。泣く訳にはいかなくなった。だって泣いたら心配されるか、あるいは気味悪がられるかだ。泣いた理由を話さなくちゃいけなくなるかもしれない。もし話したら?また私を人として判断されるのだろうか?

 

『お前はだからダメなんだ』『お前は何もやってない』『そんな考えで後で後悔するぞ』『行動しない癖に悩んでる振りをするな』なんだかんだと言われる生き方だ。そのなんだかんだを聞くのが嫌だから、聞くと嫌いになってしまうから話さないでいるのに、聞き出してまたなんだかんだというものだから、じゃあ私はどないせいゆうねんとただただ心が空虚になって、喉から出る言葉も無く頭も耳もシャットダウンしてしまう。誰かの前では弱さを話すことも卑屈になること許されないのだ。『お前は努力してないぞ』と人は言う。『そんなことでいちいち傷付くな』とも言う。もしその言葉が真なのだとしたら?私がしたつもりになった過去の行動はいったいなんだったのだろう?私が今感じているこの心の傷はなんなのだろう?実在しないということ?私がすることも私が感じる世界も、そんな次元に生きていてはいけないの?私の生き方はいけないの?じゃあ今までの人生はなんだったの?その言葉をどんな気分で言っているの?皮肉じゃない。傷つきたくない訳じゃない。孤独を気取りたい訳じゃない。拗らせてる訳じゃない。ただどうして?あなたは私じゃないのに、どうして私の生き方に『そういうことじゃない』と言えるの?私の幸せが何か知っているの?もしそうなら教えて欲しい。整理した気持ちをそういうことじゃないんだって乱してくるのはあなたの理想を押し付けてるだけなんだと思う。やる気がないのもモチベーションがないのもいけないのは理解してる。友達だから、私を思ってくれるからそう言ってくれてるんだってことも理解してる。でも、いつだって誰かが隣にいたあなたに、隣に誰かがいてくれるように努力出来たあなたに、努力が実って今を生きてるあなたに、あなたが吐く言葉がどれも私には耳障り。そう思ってしまう自分が矮小で嫌だから、私はもう話さない方が生き易い。自分でも自分がどうしたいのかわからないから、わからないまま言葉は紡げないから、わからないからわからないとそのままいうとあなたは『そういうことじゃない』と言うから、私は話さない方が生き易い。楽しい話だけしていよう。

 

秋の気候が苦しい。煙草の煙も、柔軟剤の香りも、ただ劣情を駆り立てるから息苦しい。過去は消えない。消えない癖に分断されて、今に繋がるものは何も無くなった。今は自分を助けてくれない。酒も歌も趣味も家族も友達も、私は気持ちを切り替えられない。私がいない方が楽しいよ。無論未来は無い。『みんなちゃんと働いててすごいなぁ』っていつも言ってごめん。私は未だに自分が許せてないみたいだ。許せてないのに欲しがってごめん。欲しがる癖に行動しないでごめん。夜が来る度にどんどん嫌いな自分になる。人の思いやりを無下にしてしまう。人の厚意を袖にしてしまう。なるべくして進んでいく。今ひとりだと感じる私は数年後にはもっとひとりになっている。あなたは『そんな訳ない。全然そうは思わない』っ言ってくれるけど、私の心にこびり付いてる事実がいつも言葉を詰まらせる。踏み出そうとする足をひっかける。傷付いたっていいのに、絶望に嵌ってもいいのに、それが人生だって私は言えるのに、頭ではそう思っているのに心がダメなんだよ。泣けなくてごめん。相談できなくてごめん。謝ることばっかりだ。