Right to Light

陽ととなり

8月の鏡像

海を見に出かけた。夏の海を片道100kmかけて3時間、運転はほとほとに疲れたけれど、海を見に行かなければいけないなと思ったから。知らない土地のはじめて見る海だった。はじめて鬱になった23の頃、その時も海を見に行きたいなと思った。寄る辺も話す相手もいなくてひとり電車になって夏の海を見に行った。その時も知らない土地のはじめて見る海だった。よく海を見に行くと悩みが吹き飛ぶとか包み込まれるとか言われるけれど、その時も今回も別に何か気持ちが変わることはなかった。変化はあればいいなと思っていたくらいで特別それを求めていた訳じゃなく、ただただ駆られて、必要だったから見に行ったのだ。

 

帰ってきたらめちゃくちゃな熱が出た。検査してもらって幸い陰性だったから良かったけれど発熱と喉の痛みが長引いた。食事も喋ることもしんどかった。まぁひとり暮らすこの家に喋る相手なんていないからその支障は無かったのだけど、そのことに気付いた瞬間の孤独の差し込みは辛かった。ひとり暮らしはするべきじゃなかったかなと最近思う。孤独もお金の余裕も、こういう時の心の隙間も、人の気配の無さと心の寄る辺が無さはもうどうすることも出来ない。でも自分には家を出てひとりでやっていくことが必要だと思ったのだ。

 

悩みは消えない。悩みながら生きていくしかない。お金は無いし仕事は辛い。人間関係は衝突と軋轢でそれを是とできるほどの見返りも無い。想い出は自分ひとりが大切にしているだけなようで、恋は見つからず当然愛を宛てることも無く、身体は歳を重ねるごとに段々衰えていく。意識も言葉もすぐ忘れる。つらい。6,7月の心労は自分が感じる以上にキていたようで急に髪が薄くなった。生え際の後退と今まであったところに無い髪。無いものばかりだ。金も地位もプライドも名誉も自信も愛もユーモアも体力も髪も、生きていると自分には何も無いと思い知らされる。あるように生きてがんばっているはずなのに無いというのは本当に辛い。無為の労力ばかりが心に溜まって何のために、何を目指してがんばったらいいのかわからなくなる。だからもう止めたくなる。全部、家にひとりでいたとしても、どこにいても自分は浮ついて、それを眺める自分から逃れられない。何も無い癖にあることに執着する自分から逃れられない。自分は味方じゃない。いや、もう誰も味方じゃないのだと思う。みんな必死なのだ。だから、必死になり切れない私がいるだけなのだ。もう消えてしまいたい。夜眠ってそのまま目覚めなければいいのにってずっと思ってる。大事な人との想い出だけを夢に抱えて。ごめん。私は本当に弱い。どうやって生きていったらいいかわからない。鏡に映る自分を見ると本当に嫌になる。もしこれでその先に必要を求めてしまったとしたら?それが私の生だったって、必要だったんだって言えるだろうか?