Right to Light

陽ととなり

『自分が楽に生きられる場所を求めたからといって後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きる方を選んだからといって、だれがシロクマを責めますか』

・最近ミュージカル熱が高い。11月半ばに配信された『魔法にかけられて2』を観て以来ずっと高いまま収まる気配も無く、頭の中ではいつも音楽とリズムが鳴り続けている。ディズニー+にもっと早く入っておけばなぁと思った。勢いのままラプンツェルとリメンバーミーとミラベルを観た。最高過ぎん……?歳なのか、直球の友愛や家族愛をぶつけられるとすぐ泣いてしまう。酒を飲みながらというのもあるんだろうけど、思えば私は昔から“家族”という枠組みで語られる愛に弱かった。しんちゃんの映画もすぐ泣いていた記憶がある。それはきっと自分の中にある実体験として、私自身が家族ら愛を受けていた証左であったのだろう。一方でいわゆるラブロマンスに感動しないのもその反対の証左である。

 

・そんな訳でここしばらくクリスティン・チェノウスがひたすらにpopularを歌っている。wicked自体は観たことが無いのだけどpopularから垣間見えるエゴイズム的な明るさにハマってしまって、(これカラオケで歌えたらウケるよなぁ)と思ってから劇団四季の日本語歌詞を覚えようと躍起になっている。歌えたら絶対楽しい。が、歌詞が覚えられない……独特の同じメロディを違うリズムで歌う部分が一層難しくさせている。でもきっと楽しいから頑張ってみる。歌いたい曲、『人気者』に『生まれてはじめて』、『オン・マイ・オウン』……女の子になりたいのか?そうです。誰だっていつだって女の子になりたいだろう?

 

・wickedが劇場版で公開されるんだって。観たことないので絶対行く!と意気込んでいたものの年明け公開だと思い込んでいたのが実際は'24年公開だった。落ち込み。去年のウエストサイドストーリー公開延期以来の落ち込み。ただの勘違いなんだけどさ。

 

・その心の隙間を埋める為に一層ミュージカル熱は高まっていく。ので前々からやりたかった歌詞和訳をしています。英単語を調べる久々の作業とリズムに語感を合わせていく楽しさが心地よい。日本語というのは大変便利な言葉で英語というのはとても詩性溢れる言葉なんだなぁと感じている。noteの方にアップしているのだけど、エディットと実表示で改行にズレが出ていて困っている。調べても解決策らしいものも出てこずそもそもの原因がわからないので現状放置してしまっているのだが……別にnoteに拘る理由もないので何か別の媒体を探してみようかな。自分のメモをそのままアップ出来たら楽なのに。

 

・作業で埋まる心の隙間とそうでない心の隙間があることに気付く。気付くと言うよりもともと認知していたものが更に際立ったと言った方が正確か。乱立した自意識で鬱蒼とした自分の心を見つめる度に人恋しく誰かに逃げそうになる自分がいる。最早“普通ではない私”を未だに認められていないらしい。この状態がいちばん危ういということは前にも言ったかもしれないが、決めきれずどっちつかずでいると全ての択を逃すのが私の生き様だった。人に頼るなら頼る、孤高を気取るなら気取る、なるようにしかならない力にはもう逆らえず未来を浪費していくだけだ。だとしても私はまだ自分の心を捨てきれないでいる。過去を記憶としてではなく想い出として捉えられないでいる。答えの出ない問答を繰り返しているからどんどん気持ちが暗くなる。このままじゃいけないことはわかっているのに、『その程度の情で私の憎しみを解けるとでも?』と、私がいつも隙を伺っている。