Right to Light

陽ととなり

供養

朝の雨、薄い灰色に重たい雲、日差しは無くカーテンを閉めた部屋はいつにも増してとびきり暗い。起き上がろうとする身体が重い。それがたまたま天気が悪かったからなのか、それともいつもそんな気怠さを感じているのか、最近はもうわからない。気分が落ち込んでる訳じゃないと自分で理解しているのは、落ち込むということが昇り調子がある前提の相対的な言い方だからだ。朝から晩まで同じことを考える。だから頭も身体も疲れているのかもしれない。食欲は無いけれど野菜を摂らないと肌が荒れる。夕飯がサラダだけになっても仕方がない。一食の栄養よりくだらない「〜しなきゃ」に支配される方が癪だ。熱い風呂に浸かって歌っている時は楽しい。革命の波、ジンクス、信じることを諦めないでって、違う自分を演じながら楽しみを夢想する。風呂上がり、酒を飲んでチョコを食べて映画を観てベッドに入る。ひたすらに同じコードを繰り返す頭の中がその時だけは全て止まる。不安も苛立ちも欲求も無い、ある種解放された自分を感じながら眠る。

 

コンビニに寄るとグミのコーナーを覗いてみる。あの人が教えてくれたグリーンアップルの3Dグミ。今はいつどこを探しても売っていなくて、あの味も食感も、あの人と過ごした時間も幻だったんだなと思う。行きたい場所が多い。それはひとりを潰す為でもあり新しい思い出を作る為でもある。どんどん新しい思い出を増やしていけば今の辛い現状もいつしかグミと同じ幻になってくれると思う。「今は生の落ち目だ」と春に言っていたことを思い出す。あれから半年経ってもまだ回復の見込みは無い。今までにない長期の淀み。顔にはすっかり影を落とし身体は疲れ思考は拗れる。誰も私を必要としていないと鏡の中の私が言っている。息づく憎しみはいつでも新鮮に私を苛立たせるから質が悪い。

 

もういっそ全部消してしまえばいいのだ。会話も写真もログもきれいさっぱり失くしてしまえ。憎しみに駆られる私に誰かがそう声をかける。錯覚か幻覚か、今日一瞬雪の匂いを感じた。その瞬間に全てを捨てて死にたくなった。息が上がって視線は曇り帰りたくなった。過去に囚われ執着心未来に楽しみを見出さない私は愚かか?それでも私は、憎しみに染まったとしても私は、積み上げてきたものを慈しむことで救われる心があるのだ。