Right to Light

陽ととなり

ウォールインラブ

匂いというもので感傷が引き出される。よく聞くのは金木犀だったりプールの塩素の匂いだったり、生活の痕跡が記憶と繋がり何年何十年経とうと当時を想起させるのだ。私にとってのそれは、冷房の効いた室内に漂う煎った珈琲の匂いだった。人生で初めてのアルバイトだった。社会という枠組みと忙しなく動く空間に初めて単身、個の人間として組み込まれた人生の一時。その時間のことを私はこれからもずっと思い出すのかもしれない。今思えば、あの頃の私は間違いなく生に満ちていた。今在る自分に自信と不安を両手に抱えて、まだ見ぬ将来がきっと良くなるものだと、自分にはその力と信念があると思っていた。生きること、人と異なることに誇りを持っていた。私は私が好きだった。

 

何度も何度も同じことを言うのは何度も何度も同じことを感じているからだ。毎年、何年経とうと匂いは感傷となって心を揺らす。個しかない生を足場に生きる私の情緒は脆くすぐ崩れてしまいそうになる。夜、帰ってきてから車を出して、眠くなったら適当なホテルで休憩して、なんとなしにディズニーを目指したい。朝日にその空気を吸いながらそのままいつしか消えてなくなりたい。ディズニーである理由は特に無いのだけど、いつもと違う空間で、まだ誰にでもなれる空間を生きたい。これもまた、いつか今を想起させる匂いだ。

 

全てが上手くいかない。お腹の奥がざわつく。買い物に行こうと思ってエンジンをかけたのに次はどうしたらいいかわからなくなって曲が終わった。買い物も外の空気を吸うことも上手くいかない。自分の機嫌が取れない。どんどんいなくなっていく。救えない。新たに何も持つことがないのに、かつて持っていたものがどんどん失われていく。記憶、衝動、自愛…。呼吸が苦しくなる。喪失感だけが私の心に渦巻いて先行きを暗く重く淀ませる。もう嫌だ。胃の中をドロップアウトしそう。楽しみを作っても目前にして自分の中で火が消える。眠れない夜と眠りたい朝を繰り返して、疲れきった四肢と思うように動かない指先に得体の知れない自分を見る。気持ちが悪い。頭が痛い。目が開かない。否定の言葉ばっかりが頭に浮かぶ自分を殺したい。私が抱えるこの憎しみの行き着く先を見てみたくはあるけれど、きっとそれすら私は叶えることが出来ないから。もういいやってずっと思ってる。