Right to Light

陽ととなり

no way

気持ちは頑張ろうと思っていても心は摩耗する。自分が不器用なことは幼い時から解っていたし、痛みや失敗無しにはものを覚えられないことはめくるめくモラトリアムの中で培ってきたが、それでも上手く割り切れない時は割り切れない。下手なりに自分の中で及第点を出したつもりでも、それが全く箸にも棒にもかからないことなんてこれまで幾度となくあったのに。必要な痛みと思っていても声はどんどん出なくなる。ちょっと今日はいつにも増してすり減っちゃったな。心がすり減るとどうしても自分を卑下して後ろを向きたくなる。どうか許して欲しい。痛みは必要だけど痛みに強い訳じゃない。数え切れない程無視され否定され拒絶され、人とのぶつかり合いに今の私は……自分はやっぱり普通じゃないと、そう認めないとやっていけない。これが私なんだと啖呵を切って大手を振って息巻いて生きれればそれもまた花道だけれど、私は、もう、後に続く言葉を残すことも切なく悲しい。例え自分らしくなく自分を飾って見せてもそれが生きることだと言えるか?私には人の心がわからない。私は私の心がわからない。人格を作ることも疲れたし見栄を張ってみるのも疲れたし、心から楽しいと思えること以外、生活の中で続けることがどんどん難しくなってきた。環境は変わる。人の心は変わる。心も身体もどんどん余裕が無くなっていく。老いは自然なことだ。私にはもう、新しいものは何も得られないと結論付けて人生に臨まないと不意のダメージが大き過ぎる。これだって最近はずっと、苦しくて苦しくて仕方ないのだ。思ったことが出てこない。言葉が思い付かない。好きだった自分の一端さえ暮らしの中から失われて、感性が風化していくのを感じる。怖い。このまま己の限界を諦めとして抱えある種の羨望と妬みと憎しみを持って世に落ちていくのが恐ろしい。何も生み出せない自分の世界で延々と内に向かって渦巻き続ける怨嗟の息。愛が無くなってしまったのかもしれない。これまで叶えようと不器用に走っていた道に先が無いのではと、それどころか、道などはじめから私には無かったのではないかと思ってしまった。愛は生きるために不可欠なエネルギーだったし希望だった。でももう、それを手に入れようと手を伸ばす余力や望みが、私を、苦しめているんじゃないかって、また発展の無い痛みがあるだけなんじゃないかって、怖がっている。ごめん。弱い。どうにもできないくらい弱い。未来へは繋げられない。愛は私には無かった。