Right to Light

陽ととなり

Be patient,plz

連休前から体調を崩していた。夏バテだろうと思っていた疲労感から一転、寝起きから火照った身体で体温計を取るけれど熱は無く、熱が無いならまぁ働くかと会社に行った途端火照りは増長して早退、熱を測ると当然のように高音だった。ちゃんと疲労が出るんだなぁと思う一方でようやく休めるとどこかずる賢い発想があったことは否定しない。それから1週間、どうにも身体がすっきりしない。休みは休みで楽しんだが、最中の記憶がく薄いというか所在なさげで上の空だった気がする。連休明けの仕事でもすっきりしていない顔をしていたのか、職場で体調を窺われるので素直に答えたから、私は丸2週間体調が整っていない人になった。なんでかな、暑いからかなと構えていたが、異常に何もしたくない生活を振り返って、(あ、鬱だからか)と腑に落ちた。夏の鬱が来た。

 

生活が齎すストレスに適応出来ていない気がする。怠さに眠気、沸いた瞬間尽きる意欲、掃除、炊事、洗濯、買い出しetc、とにかく何もしたくない。食欲も無いから都合良しと言わんばかりに買い出しも料理もしない。部屋は散らかるけど誰にも文句を言われないというのは良いのか悪いのか、ひとりの生活だからいいじゃんと肯定する一方で丁寧さを求める理性がさすがにヤバいぞと言うので何度か実家にお世話になった。何もしたくない。仕事も、楽しむこともしたくない。心はひとり、憎しみに強く染った。愚かにも私は、自我を拗らせ続け解くことも出来ず、結果羨望と嫉妬を宿した両の目で世界を恨んで見るようになった。これまで以上に見境なく、自分を今の境遇に落とし込んだ世界に中指を立てている。とんだ逆恨みだ。きっかけはきっとあった。ある友の話を聞いてから、自分は今のままでは幸せになれないことを悟った。人達が良しとして暮らす世界と自分の生きる世界は違い過ぎる。辿り着けないから、手に取れないから、私は恨むことを選んだらしい。涙が出る。私は我儘に自分を縛り続けた挙句、自縛を首に回そうとしている。生活が辛いのではなく、生命が辛いと思ってしまった。何もしたくないから、叶えられないから、変われないから、あらゆる否定の結果が結局それかと、心が負けてしまった。このことを家族に言ったらどうなるだろう。悲しませるかな。そりゃそうか。少なくとも生活に影を落としてしまうことになるだろうな。

 

自分の求めた生き方がどんなものだったのか、摩耗した心ではもう思い出せない。私はどんな人間になりたかったんだろう。少なくとも10代の頃は確かなその姿を見据えていたはずなのに、気付かない内に見えなくなっている。生活に理性と丁寧さが必要だと思う。頭ではわかっていても脱する術は手元に無くて、やっぱり何もする気にならない。

 

彼の説教と目線が恋しい。涙ながらに、全部を吐いてさらけ出してしまえるような言葉の鞭と、妖しく誑かすように、全てを差し出してしまえるような愛の瞳。そのふたつを求めて私は夜を彷徨うけれど、残念だけど、これが人の世。生活は続く。生命は続く。