Right to Light

陽ととなり

人も一年、夏の芳、導きの夢

7月。思い返せば予め予定を入れず、けれども毎週末誰かと会って酒を飲む1ヶ月だった。財布の紐が緩い。ストレスが溜まっている証拠だ。そして今日たまたま誰にも合わない日曜を過ごすと、誰かに声をかけようかと衝動で思い立つ。すっかり人に依存してしまっていていけないなぁと思う。誰かと過ごす夜は思いを齎すけど、その分自分の孤独とも向き合わなくてはならない。最近は自分の性格を少し分かってきたようで、自制と勢いに頭を抱えている暮らしにどこか人間らしさを感じ取っている。財布の紐が緩いのも、散財と言えばそうだけどばらばらになりそうな心を繋ぎ止めるのに必要なことなのだ。抑圧とストレスに晒される生活の中で、欲しい人が手に入らない人生の中で、お金で買えるものすら理性で我慢してしまうと(人生って……?)となってしまう。やるべきことはやっている。最低限だけど。

 

今日は初めて岩盤浴というものに行ってみた。なるほど、サウナより心地よく汗をかける。俗に言う“整う“ということが私にはわからなかったので、適度に苦しく漫画を読みながら汗をかける岩盤浴は合っているかもと思った。(それでも3,40分で出たけど。)そのまま温泉で汗を流せるのも良い。最近疲労が露骨に溜まっているのでスパ銭によく行く。

 

あまり人前で疲れたとは言いたくないのだけど顔に出ているらしく、体調を伺われるので素直に「疲れています」と応えることにしている。どうしてこんなに疲れがとれないのかなぁとずっと考えていて、浸かる湯の温度が低いからだと結論づけた。夏だから41℃にしていたのを今日は43℃まで上げてみた。身体を動かす運動もしてなかったので夕食後に1時間程歩いてみた。これも久しぶり。汗をかき帰ってきてそのまま風呂へ。今は身体はぽかぽか、ベッドに横になって疲れが染み出していくのを感じている。

 

なんとなくこれから頑張ろうと思った。仕事も人も。苦しいことは多いが頑張ってみようと思う。趣味のために、友人がいる夜のために、前向きに生きようとまでは言えないけど少しある楽しみとそれが齎す変化に価値を見つけて暮らしたい。私の心には誰かが座る椅子があって、私はそこにいつでも誰かが座れるように椅子を磨いている。言葉がある人と無い人、繋がりを保とうとしてくれる人とそうでない人、誰に対しても椅子はある。いつでも座っていい。だから私はいつでも座ってくれた人のことを好きになれるしふざけられるし憎めるし腹を立てられる。人格を飾らなくていいことの楽さを感じている。言葉があって、流れを大切にして、ニヒルでふざけて大人な紳士にはなれなくて、夢であった人を探してしまうような、そんな性格を好きになったかもしれない。

 

夏の目標。工作をすることと振り付けを覚えること。それが何の為になるとかそういうことではなくて、きっと達成したその日1日を強く色付けてくれるはずだから。今日はたくさん汗をかいたからずっと喉が渇いている。7月の月を見た。