Right to Light

陽ととなり

Wish I could call that name of yours,once again

ブログをはじめたきっかけは文章を書くことが好きだったからで『日記をつける』『それを見返す』という行為事態に憧れがあったからだ。アナログの日記という形を取らなかったのは、積極的でないにせよどこか他人の目の届くところに置いておくことで自分を見て欲しいという欲求があったからだ。それは否定できない。私は昔から人一倍人を好きになる癖にそれを公にして感情を見せることがとにかく苦手だったのだ。自分が人を知りたいのと同じくらい自分を知って欲しくて堪らなかった、口下手ゆえのねじ曲がった自己顕示欲。比べれば一目瞭然だが学生の頃と比べて今は文体が大きく異なっている。それはある人に出会ってその文体に強く惹かれたからである。過ぎた時間をどうしようもない今と比べてしまう自分の性を“ただそうあるもの”として紡がれたその文章は、後悔ゆえに儚げで悲しげで、誰にもあった遠いノスタルジックを掻き立てるような言葉だった。諦めとも開き直りとも取れる結論も翻って“(もうなれはしないけれど)強く生きたい”という力を感じた。文全体が滲むような綺麗なセピア色に染まっていた。そんな詩性を私も残してみたいと強く憧れた。久しぶりに更新されたその人のnoteをやっぱり良いなぁとしみじみ読み耽った後でこれを書いている。私はとにかく感化されやすい。

 

私がブログに向かうのはもっぱら後ろ向きな気持ちがある時か後ろ向きな気持ちを乗り越えて前を向こうとしている時なのだけど、もう最近は後ろ向きが常になっていて自分がどっちを向いているのかわからないまである。というのも、来月高校の同級生5人で何年ぶりかに集まるのだど私以外全員結婚しているらしい。今の精神でそんな集まりなんてあんまりじゃない。集まる話を聞いた直後は楽しみ全開だったのに日が経つにつれどんどん憂鬱になってきた。淀みなく言えば私は今嫉妬している。そしていざその場になれば喜びと同時に同じだけの劣等感を覚えるだろう。そして結婚する理由を問うと思う。そいつだけの理由をそいつだけの言葉で、聞かずにはいられなくなるだろう。ここまで見えているから憂鬱なのだ。私はきっと、喜びの気持ちと同時に自分の納得を優先させてまた人に求めてしまうから。

 

周りの人が山あり谷ありのその人生を邁進していることを肌で感じる。昇る労やそこからの景色を楽しみ、降る時は誰かと手を取って前に進んでいく。その隣で私だけが先の暗い下り坂を歩んでいるのだ。振り返れば足跡達はどれも見上げたところにあって手を伸ばしても触れられない。はじまりがいつだって怖かった。はじまりは未知で不安であったから。けれどはじまりは進めてしまえば自然と道が出来ていくものだった。それが今では道も出来なくなっている。あるかもわからない道を鬱と眠気で覚束無い足でゆっくりと降っていく、そんな人生。想い出はかつて進むその先を照らしていたのに度重なる失敗体験がその輝きを鈍くして不信と変えそれを抱えたまま、想い出と過去だけを縋り付く頼りにしているからその足取りも重い。元気なく見えるのは実際元気が無いからだ。いつも眠そうに見えるのはどれだけ規則正しく寝ても眠たいからだ。人が少なくなると機嫌が良いのは邁進するその人生を見なくて済むからだ。目付きが悪いのは自分を憎みこの世を疑い睨んで世界を見ているからだ。下り坂にいる私の手を取ってくれる人はもういない。これから先現れる気もしないし私自身も手を取ってくれる人を信頼出来ないと思う。自分で自分をどんどん袋小路に追い詰めていっている。この生き方になんの意味があるのだろう。

 

日中は涙が滲む。夜は抱えきれない衝動で枕を濡らす。いつでも何かに救われたくて会話を欲しているけれどだんだん今までどうやって人と会話してたんだっけと思うようになってきた。会話を通して他人に映る自分を見ないと自分がどうやって生きているのかわからなくなる。趣味をしても人と遊んでも夜はいつも私をひとり置き去りにして自分自身を見つめろとこうして突きつけてくる。隠れることは出来ても逃れることは出来ない。楽しさで覆うことは出来ても悲しみを忘れることは出来ない。また明日も仕事しながら泣くのかと思うと眠ることが怖い。人の手を取れない人生を考えると生きることが苦しい。でも仕事で迷惑はかけられないし家族のことを考えると死ぬことなんて出来ない。自分の悩みは人に打ち明けられずここでの吐露もどうしてこんなに辛い。この坂を降っていく私はどうなるのだろう。もはや“そうあるもの”として歩いていくしかないのか。それもまた悲しく悔しい。