Right to Light

陽ととなり

押し並べて、すべからく

ミシンを習いたての頃、人差し指の横、第1関節の辺りの皮が裂けていた。糸調子を整えるために縫うものの厚さによってダイヤルを回す必要があった。そのダイヤルをつまむのに指のその箇所がいちばんやりやすかった。ダイヤルはなんだかわからないが恐らく金属製で滑り止めにギザギザがついていた。1日にダイヤルを何度も回す。同じ指の同じ箇所で。何周も何周も。指は薄く赤く腫れたが、ミシンを続ける内に痛みに慣れ、指のその箇所にはタコができた。その頃には感覚でミシンを扱えるようになっていて、感覚でする作業が多い中で数少ない目に見える達成だったので、練習の賜物だと胸が高鳴ったのを覚えている。

 

今の私はきっと人間不信になっているのだと思う。人恋しく求めるのも恨みつらみで人を遠ざけ、楽しさを見い出せず目の焦点が合わない週のはじまりだったと思う。誰の目にも私は映っていなくて、世界から一切の承認が無くなったような気がする、そんな感覚。人を信頼して不安を吹き飛ばしたり、自分を信じて新しく一歩踏み出してみたり、そういう行動に移るための土台がまるっきり無くなってしまっていると思う。生の落ち目ということを日々痛々しく感じる。コンプレックスが酷い。思えば大学を卒業して入った会社を辞めてからずっとこんな感覚だったけれど、最近は顕著にそれを味わっている。選択の罪と罰。そこから自分を救おうと、人に救って貰おうと躍起になってはいたずらに人を振り回し傷付けこうして孤独の身に落ちて、私は誰にも理解されないと思っている。私の苦悩は誰にも理解されないと思っている。友人どころか、大切で大好きな家族でさえ、私の心のいちばん暗い部分は、傲慢で我儘でどうしようもない愚か者と腫れ物扱いするだろう。こういうことすら考えてしまう自分の人間としての冷たさも、そしてそれを忌々しくも文字にしてしまう幼稚さも、また私の嫌なところだ。

 

助けて欲しいなんて思ってない。幸せにして欲しいなんて思ってない。ただ私は楽しく生きていたい。ひとりでも、誰かとでも、笑って楽しくて考えることがあって夜が終わっていくような、そういう生き方をしたい。なのにどうしてこうなっているのだろう。あまりにも自分の整え方を忘れてしまっている。土台が無いのだ。行動に移せないから楽しみも見い出せず憎しみも晴らせず、愛も見つけられない。そんな生活に変化の展望の余地なんてなくて、どうやって生を繋いでいったらいいのだろう。

 

指のタコは気付くと柔らかくなっていた。それでもミシンは変わらず扱える。目に見える勲章はいずれ消えるらしい。残るのは感覚だけ。上手くいかない日もあるけれど、だとしてもいつまで続くのだろう。