Right to Light

陽ととなり

No one knows,yet

私が自分のことを心底つまらない人間だと思うようになったのは、20歳をようやく迎えてしばらくかという夏の頃だった。「つまらない」と言うのは特に人付き合い、殊更恋愛におけることで、それまでも特にユーモアや会話のスキルに長けていると自負したことはなかったけれど、とにかくその夏の頃。自分の中の一切が一度輝きを失くして、生まれてはじめて、どうにか消えてなくなれないものかと思った。その夏、それまで漠然と当たり前に抱えていた自我というものを敢えて良く、打算とエゴに塗して他人に晒したが為に、私は、5年後の今になってもその夏の出来事を瑕疵として思い出す。一片の疵は大きな歪みとなって、生きる私を捻じ曲げた。

 

その頃から、全ては「ちゃんとしてから」だと思った。恋も、愛も、寂しさを埋めることも、誰かの想いを汲むことも、全部「ちゃんとしてから」取り組もうと。今の自分はまだ未熟だから、その価値はないから、それを自分で許すことは出来ないから、いつかこの先自分で自分のことを「ちゃんとしてる」と思えた時に始めようと考えた。ある種の決意。それからは恋をあまりしなくなった。卑下が常になった、とまでは言わないけれど、とにかく私にはそういう舞台は相応しくないと切って捨てた。それでも情動に駆られる時は気持ちをすり替えた。「これは憧れであって恋ではない」「これは博愛と友情の先のただの親愛」と何かと名前を変えて誤魔化した。名前を変えていれば、それが終わった時に残るのは綺麗な想い出だけだったので。

 

それから気持ちの節目節目で「ちゃんとしてるか」どうか確かめた。片手でも余りが出る程の機会だったけれど、結果はどれも「してない」だった。間接明示的に「つまらない」とされたり、自分のことを許せず走りきれなかったり、その度に夏の決意は呪いじみて私を歪めた。自己嫌悪に落とし逆恨みに走らせ、後悔と嫉妬を強めた。

 

そして今日もまた、「してない」を突き付けられた私は、雨に濡れながら折る指の数を増やすことになった。唐突と言えば唐突だけれど、どこかやっぱりなという思いだった。本当は別れを拒んでもっと言ってやりたいことがあったのだけれど、“来る者拒まず”を判断原理に掲げる以上、“去る者追わず”を通したかったし、こういう時の男は何を言ってもクールじゃないと思った。結局綺麗に終わりはしたものの、春の雨と少しのドライブが嫌いになった。その人の顔もろくに思い出せないまま、ひとつの事実として。

 

ゴールの見えない暗がりを走っている気分だ。当然、自分の尺度を他人で測ろうとしていることが間違っているのだろう。これまで最もらしい理由をつけてきたけれど、はじまりが間違っているのだろう。だけどもうこの道でしか救われない心の部分がある。疵の増えた歪んだ心をどうやって愛すのか、私にもわからないことを誰かに求めるのは不義理で傲慢な気がしてならないし、怖いし不安で、不確かだ。でもいつか「ちゃんとした」時、或いはこの心を抱えきれなくなった時、私はきっと、大声で泣くと思う。