Right to Light

陽ととなり

グラスワンダー

朝、起きて洗面所に行くとタオル掛けが外れていた。ビスで止まっていた形跡があるがそのビスがない。取れた面を見ると両面テープで貼り付けていただけのようだ。壁紙用のものだろうか。

新品のバターを開ける。銀紙を剥がす。綺麗に剥がれず少し破れてしまった。別に慎重になっていた訳ではないが猛烈に悲しくなった。

机の上を片付ける。型紙の類を全部捨てた。必要になったらまた書けばいいのだ。かなりすっきりしたけど座ろうとは思わない。

説明をする、ということがどんどん出来なくなっている。言葉が出てこないどころかそもそもの考えがまとまっていない。それでも何か言わなければと思うけれど、思うだけ苦しくまた何も生み出さず、思い出にならない。覚えていたいことを覚えていられない。昔の自分が書いた文章を読み返してみる。拙くはあるけれど真っ直ぐだ。知って欲しいけどひけらかしたくはない、複雑に見え隠れする顕示欲がもどかしい。仄かな詩性を残そうと試行錯誤している頭が愛おしい。そんな理性と共に垂れ流した言葉をなにより自分で愛していた。昔の自分は、拗らせ尊大で斜に構えていたけれど一本の芯があったように思う。自分は自分でしかないと確証も無く信じそのスタイルこそが自分であると、己の中で(あるいはもがく生活の中で)価値を見出して生きていた。当時は当時でしんどい思いをしていたが今ではそれがすごく眩しい。

行きたいところがたくさんある。見たい映画も本も漫画もたくさんある。作りたいものだって、手紙だってもっと書きたい。頭にはあっても、生活の中の小さな小さな失敗が未来に靄をかける。酷く疲れた。涙か出る。