Right to Light

陽ととなり

私は甘く頑なだから

物忘れが酷い。ちょうど生活の何もしたくない時期にあるから部屋がどんどん散らかっていくのだが、それに加えて必要なことも頭から抜け落ちてしまう。炊飯器、洗濯機、給湯器、あらゆるスイッチは入れ忘れ切り忘れるし調べようと思ったことも3歩歩くとなんだったかしらとうんうん唸る始末。風呂から出たら首に湿布を貼ろうと思っているのに直後に忘れて服を来てしまう。脱げ。発想力も悪い。浴槽に湯を張っても入ってる合間から冷めてしまうから湯船に浸かるのを諦めていた時期があったのだが、いつも風呂場のドアを開け放して湯船に浸かっていたのに気付き(ドアを閉めればいいのでは…?)と閃いた。グラス1杯のアルコールが飲みきれなくなってきたから飲むのを諦めていたのだが、(注ぐ量を減らせばいいのでは…?)と閃いた。あまりにも頭が悪過ぎる。そんな自分に落胆すると共に何が気に入らないって、そうやって発想の低さに気付かず何かを見つけては生活を批難してやろうと思っている自分がいることだ。生活から自然に謙虚さが抜けている。

 

めちゃくちゃに文句を言ってやりたいことばかり。正直なところ私はもっと悪辣に愚痴なりなんなり夜通し話したいのだ。引き出し閉めれてないね?椅子、机に収まってないよね?掃除のルーティンも崩れてばかりだね?どれもその上に立って生きなければならないことはわかっているしやはりそこには個々の地獄があるのだろうけど私はどうしても優しくなれない。生活が苦しい。口にするだけで出来ることと出来ないことの差異が生まれて、話す度に分かり合えないんだなということばかりが強まる。人が苦しい。見ることが眩しくて辛い。会話は煩くて、見ればわかるようになっていることをいちいち声に出さないで欲しい。無観察に無頓着、何を観て聴いて生きているのだろうと皮肉を思う。これ、一度堰を切ると止まらなくなってダメだな。愚痴や文句は頭が痛くなる。

 

考えてみてもやっぱり私にはこれから後をまた持ち得るとは思えないので今にしがみつくしかない。生活は続く。大器は晩成かもしれないし私は遅咲きの人間なのだと慰めて生きてきた。ただ緊張の糸が、あるいはまた何か別の大事なものを繋ぎとめているものが切れそうになる時がある。月が変わるとその時が来る。言葉を交わすとその時が来る。顔を合わせるとその時が来る。いよいよか、潮時なのかもしれない。(ままよっ)と橋から海に身を投げればこの続く生活が何か変わるかもしれない、少なくとも誰かに話は聞いてもらえるだろう、そんなことに毎日思いを馳せるようになっている。

 

口に出す勇気も持てない。やはり私はどこか甘く、未だ自分を変えられるだろうと頑ならしい。生活は続く、らしい。