Right to Light

陽ととなり

1月の駆けり

待つものも想いを起こさせるものもない。何度目かもわからない空っぽの手のひらを見つめて、それが突然耐えられなくなると私はとにかく外へ飛び出す。それは衝動ではあるけれど、後で思い返せば半ば何かに導かれるようでもあるのだ。ちょうど去年の今頃は外に飛び出していた。それが必要だったのだ。自然に触れ生命に触れ自らの先の生活を見据えることで抱えていた靄や鬱屈から逃れたかったのだ。そしてそれは望んでした訳でもないのに今年もそうなった。また導かれるように。1月、逃げた先に見る景色と生命に私は惚れ込んでいるのかもしれない。なぜならそれは意志が作り上げたにしてはあまりにも偶然と好都合の織り合わせで、まさに因果と運命の巡り合わせと呼びたくなる程に美しく綺麗にまとまっていたからだ。

 

だからもう下らない妄言に取り憑かれるのはやめて。契機の都合の良さ、結果の都合の良さ、あなたはきっとどちらも区別がつかないまま、一途なのは片方だけ。あなたのその行動が本当に人を想ってのことなのか、それともただ一時の淋しさを埋めたいだけのものなのか、それはこれからわかる。言葉だけであなたを判断するにはあまりにも私はあなたのことを知らない。だからこれからがものを言う。公平さとは?信頼とは?正しさとは?また鍔を競り合わせることになった時、真に都合が良いのはどちらにとってなのか、今抱える言葉はその時になってから話そう。今言うことは私にとって都合が良いがあなたの正しさではないのだから。

 

昨日までバチバチに回っていた頭がショートしたみたいに働かなくなった。なんだか必要と言うより義務に迫られるような物言いになってしまって物悲しい。ショートした頭に甘いものをとにかく欲しているので洋菓子屋さんのパフェメニューを眺める等している。春まで生きられない。