Right to Light

陽ととなり

夢ほどクールじゃいられない

「最近良いことあった?」みたいな会話を全くしていないことに気づいた。良いこと、あるのだ。T字の交差点は左折車が詰まっても対向直進車には何も影響ないのが必要十分満たしてる感じで良い、とか、推し(『推し』というワード、表現としてあまり好ましくないが便利)のスタッフさんの歳がわかってパーソナルに触れた気がした、とか。他愛もない、時間だけを埋めるための会話を全くしていない。今までそういうことはどうやって話していたんだっけ?とも考えたが昔のやりようが今に通用することはほとんどないので考えるのをやめた。私達は常に新しい方法を見出してそれを試して生きなければならない。文明的な在り方だ。10代に読んだ小説に憧れて、私は文明人になりたかった。その人は静謐で穏やかで冷静で、かつ情熱があってユニークだった。歩く時には歌を口ずさみ、愛しいものを愛しいと素直に言える人だった。そんな人間になりたいと私は本気で憧れたものだ。紙の中にしか存在しないその人を憧れとして邁進したけれど、フィクションはフィクションの存在でしかなかった。私はいつまでたっても私でしかいられなかった。そんな卑下すら最近は口を塞がれている気がして窮屈だ。

 

憧れは毒である。叶わない夢である。いつか心折れるならいつか折り合いをつけてさよならする必要があるらしい。ただ私は、素直さだけは忘れないように心がけて生きようと思っている。好きなものは好きというし、気に食わないことはそれとなく追求するし、感情の想起も思考のプロセスも出来るだけ言葉にしようと思っている。素直さの責任だって取らなければならない場合もあることを理解している。そういう自分が人生ではじめて好きだと思えたからかもしれない。ということを日がな仕事をしながら考えていたので今日は有意義だった。仕事も捗ったし頭もすっきり。帰ったら久しぶりにお酒を飲むと決めていたのでお風呂上がりに飲んで今は酔っている。実に良い。良いこと、あるのだ。その勢いに任せてマッチングアプリのプロフィールをガチめに書き直した。好きなものを全部書いた。こうして感情を文字にすることが好きだということも全部書いた。あの世界はどう自分を表しても顔とステータスと運でしかない、と思っているので、もう素直にいくことにした。実に文明的である意味オリジンに沿った意識の変化だったのでなんだか可笑しくなってしまったが、どうせ独りの身、この勢いが誰かの心に留まってくれと祈ることしか出来ないのが悲しい性の不均衡だ。せめてこうして未来に繋がる何かしらをアクションしていないと私の心は憎しみと嫉妬に染まっていくから、今日はなんとか健全な心を保てて嬉しい。憎しみを覚える度にツイートしていたのを下書きで留めてみたら大変な量になって笑った。どうして私はこうなったのだろう?こうなった私はどこへ向かうのだろう?最早憧れ描いた幸せの形は自分には訪れないのかと考えると気持ちが悪くなるけれど、それでもなんとか環境を変えそうして変わるであろう未来を希って生きている。

 

良いこと、あるのだ。今の私は静謐で酔っていてクールで文字を書いている。文明人は夜毎未来の夢を見る。