Right to Light

陽ととなり

それでも、私は病んでる方が好きかもしれない

定期的に訳のわからないことを言える人間でありたいと思う。突拍子もなく意味もない、しかし頭に残るようなことを言うにはどうしたらよいか。まず本を読む。文章からそのエッセンスを吸収すれば何かしらの勢いはつくだろう。ただ僕にとって難しいのは「本を読む」という行為自体を最近しなくなってきたことだ。ただの文字ではない「読ませる為の文字」は今の生活にまったくなく、買った本は積まれていくばかり。ウェルテルはいつまでも苦悩しないしティファニーで朝食は食べれそうもない。こんなことじゃいけないなぁと思いつつも手はスマホに伸びる。まったく、いけないなぁ。

 

本を読むことはしなくても、今ある僕のユーモアでなんとか気分を保っているところだ。今までどんな風に笑って、また笑わせていたのかは思い出せないが、その場その場でなんとか明るくしようとしているところだ。でないと口から出る言葉は暗いものばかり。正直口を開けばその度に病みそうだ。暗くなるのは嫌だし周りにそんな風に思われるのも嫌だ。だから、今まで通りいて欲しい。寂しい時に少しだけ構ってくれ。人のことを考えるのを止めるのは駄目だ。自分の思考の中に他人を入れるからこその人間だ。それが誠実さだし人間らしさの一端だ。態度にムカついたり思い通りにならないことに失望したり、このことに気付いて久し振りに自分の人間らしさを取り戻した様な気がする。部屋はいつまでたっても片付かないしあの娘の態度はやっぱり変わらず僕はいつまでも特別になれそうにない。お金だってない。

 

落ち込むこともある。自分でも分かる程に気分の浮き沈みが激しいし、人によって態度も変わる。でも今はそれでいいと思ってるし面倒くさがられたとしても「すまんねははは」で、どうか許してくれ。

 

とにかく人間らしくいたいのだ。僕らしく今までのように。そのきっかけを少し手に入れたような気がする。このまま突き進んで行けば、僕はかつての栄光を取り戻しアイデンティティに溢れそれは血流に乗り全身を駆け巡る。身体と思考は活性化し足取り軽く街を歩き知己とロマンに満ちた名文を生み出すだろう。そして愛を知り愛に生き太陽と踊り月と歌う。なんと素晴らしいことだろうか!

 

それが生きるということだ。他人に揺さぶられその都度自分の中心を確かめる、それが僕の生き方なのかもしれない。友情に愛情、敬愛、承認欲求、恨みに妬み、感情に振り回され一喜一憂、それが良いと思う。感情がいつもフラットでいるより、その方が好きだと思う。