Right to Light

陽ととなり

でも壁紙が傷つくから

突然だが、僕の部屋は綺麗にまとまっていると思う。家具の配置とかの話じゃない。居場所として、過ごす場として、誰だってそうかもしれないが、自分の気に入ったものだけを置いて、棚には思い出を並べる。そうして出来た部屋に入る自分を特別に思える。それが最高。日頃から何もわからず外に放り出されていると、自分がわからなくなるのだ。今ここに立っている僕は本当の僕なのか。今流れている時間は現実か。身体と何も考えていない言葉だけが独り歩きして、意識だけが現実と乖離する。人の冷たさに触れ自分が特別でないと知る。今まで何度となくそんなことはあったけれど、どうにも慣れるものじゃないらしい。いつだって僕にとってその冷たさは、全くの意識の外から飛んでくるパチンコ玉みたいに、倒れるほどじゃないダメージを与え僕を浅く浅く穿っていく。けれども僕もそうバカじゃない。何度となくあった"そんなこと"を通して少しは賢くなっている。今日だってそう。自分は特別だと思っていたがそれに驕らず謙虚に振る舞った。結果的に僕は特別ではなかったのでダメージは少ない。物事は巡り合わせだ。自分から動かせる運命なんてそうそう訪れない。傷付きたくないなら無闇にあれこれ手を出さないことだ。謙虚に紳士的に、あくまで友好的に。改めて言葉にすると当たり前のことだが今日はその必要がある。

 

この部屋はいい。並べきれない思い出をコルクボードにひとつずつ貼り付けて僕は何百回目かわからない疼きに悩むけれど、それを見て笑われることも同情されることもない。自分の在り方なんてそれこそコルクボードの写真が増える度に問い続けてきた。でもそれはきっと僕だけの特別なものではなくてきっと誰しもが抱える普遍的な悩みなのではないか。ならそれに僕が加わる必要があるのか?血涙を流して自分を変えようとしても何も生まれはしない。余りにも非力で学もなく、うまく喋ることすらままならない。今この部屋で浮かぶ言葉は、言うなれば砂浜に書いているようなものだ。一歩外に出れば冷たい波に消されてしまう。砂浜に残すそれだけが僕が生み出せる唯一の痕跡なのに、時が来て一度波にのまれれば僕はそれを書いたことすら思い出せない。

 

この部屋はいい。綺麗にまとまっている。額に入ったポスター、写真、僕が作り上げてきたものであると同時に、僕を作りあげてきたものたちだ。この部屋はいい。だけど渇いている。この部屋には過去しかない。気持ちのいいものだけを並べて、見たくないものはAmazonダンボールにしまっている部屋だ。未来を求めて渇いている。そう気づいた途端に物足りなくなった。僕が書くべきなのは砂浜にではない。ありったけの思いで刻むべきなのだ、この部屋の壁に、その言葉を、いつでも思い出せるように。どうせ笑われも同情もされないのだから。

 

もっと揚々と自分を誇示出来る人間でありたかった。いや、かつてはきっとそうだったはずなのに、今が違うだけだ。なのに部屋に並べた思い出の中にその姿はない。今夜もこうして渇きに耐えながら、眉間に爪を立てる僕がいるだけだ。そうする自分を卑下しながら、渇きに疼きひとりほくそ笑んでいる。