Right to Light

陽ととなり

水底に臥すこのこころを嘆くとて

久しぶりにバイト先に顔を出して話をしてきた。バイトを辞めてからしばらく経つがそこで話をする僕は間違いなく働いていた頃と変わらない僕で出てくる言葉も当時のままだった。近況を少し話す内に、僕も変わってしまったなと感じた。話している僕は当時の僕なのに、それを見ている僕はまた別人だった。そうなるとどっちが本当の僕かわからなくなる。と言っても人間の本質、話し方や態度なんて環境とコミュニティ毎に変わる。周りが変われば僕も変わる、ただそれだけのことなのに、懐古からか、僕は昔の僕に、あの頃の僕に戻りたかった。過去に戻りたいのは現状に満足していない証拠だった。

 

もう何も出来る気がしないのだ。理想への努力も、周囲への期待に応えるのも、最低限の求められる姿勢すらも、全てのやる気がブレーカーを落とし蝋燭の火が消えるようにゼロになった。今はただ、風に揺られるままの白い煙を上げて突っ立っている。少し突けば倒れる程の、それ程の頼りなさを自分で感じている。もう一度火が点くことはあるのだろうか。少なくともまわりが火を持ってきてくれることはなくて、己の心にある火種を大きくしていくしかない。火種が残っているかすら今の僕にはわからないが。

 

海の底にいる。陽の光が辛うじで届く、薄暗い海の底にいる。そこは穏やかで潮の流れもなく居心地がいい。陽を浴びようと水面まで上がろうとしても、力及ばず、居心地のいい底に戻ってしまう。泳ぐのは疲れるし、しんどいし、その先が今よりいい場所かわからない。それでも何度も浮上しようともがくのは、その水面の先を見てみたいから、陽の光を浴びたいからだ。「次こそはやってやる」と「次もダメかもしれない」の間で、上がるにつれて強くなる波に揉まれながら、「またダメだった」を繰り返しながら、浮上をする。何も出来る気がしないが、何かしなければならない。今の僕に残された道は、そんなトライ&エラーに耐えながら浮上することだけらしいのだ。生きることはなんと難しいことか。社会という海は想像以上に冷たく自分勝手だ。

 

「やれば出来る」という希望じゃない、「(程度はどうあれ)やったけど出来なかった」という事実の重りを抱えて水面を目指す。このまま水底にいたい、静かで穏やかな海の底で眠っていたい、朝が来て光が薄く差す度にそう思う。しかしそれではぼくは生き物ですらなくなってしまうと思うのだ。色を失くし海藻が絡む無機物になってしまうと思うのだ。僕は生き物でありたい。