Right to Light

陽ととなり

陽臥せり

私は口車に乗り易い。引越し然りウォーターサーバー然り、考えの範囲外から物事を放り込まれると自分にそれが必要だと思ってしまう。情緒に流されやすいともいうべきか。意識の下を見透かさせれているようなことを言われるとそれまで抱えて大事に磨いていきた自己というものがあっさり吹き飛んでしまうように思う。「私は悪いことをしたのだろうか?」誰も言っていないことに足を取られてうまく踏み出せない。きっとどこかでまだ私は、「生」というものに甘えているのかもしれない。なにも考えなくてもいずれ行き着く先に辿り着けるだろうと悠長に考えているのかもしれない。だから劣等感を抱くし考えなしの人生だとここまで感じるのだ。納得ばかりを先行させて覚悟が足らない。誰だってそうだと思ってた。でもここまで乖離するということは私の方がどこか足りなくて問題なのだ。どっちに転んでみても私には暗い道しか見えない。いっそ今ここで殺してくれと叫んでみてもひとりの部屋には何も響くものがないしいざ終わりを突きつけられたとしてもその期に及んで私は生きてしまうだろう。どうしたらいい?みんなが手探りでも大事なものを生み出している間に、私は、覚悟の至らなさを噛み締めて無為に陽に臥してその日その日をやり過ごしている。

 

だから、なのか、でも、なのか、いずれにせよ私はもう望む風に生きていけないらしい。振り返ってみればずっとやり過ごすだけの生き方をしていた。私ってなんなんだろう。どうしてこんな疑問に解答を用意できない人間なんだろう。どうしてここまでしていまだに自分を認めないんだろう。一時の選択がそれからの私の全てを暗くした。選び取った選択は最良にならない。挽回するだけの気構えも会って交わした少しの言葉で瓦解する。脆い。本当は何も変えたくない。でも生きていく間は変わり続けなくてはならないらしいのだ。考え続けなければ、悩み続けなければそもそもの資格や土俵に至れないらしいのだ。長くて苦しい。

 

奔流は意外なところを引き寄せて私を生の潮流にする。抗わなければ良かったと何度目かの夏に思う。抗っても望んだ結果にならなかったかもしれないが、そんなたらればの話ですら今の私にはあまりにも輝かしく求めたものであった。失くして気付く。いつだってそうでなんだってそうで、誰だってそうだ。だから今日も。