Right to Light

陽ととなり

愛の始末をつけられるのは

最近早起きだ。寝れていない訳ではないが夜眠る瞬間の微睡が朝まで続いている感じ。悪くはないが快眠ではないと思う。起き抜けに頭痛がするのは天候のせいだけではないと思う。トイレから風呂場、洗面所と水回りを掃除してベッドのシーツから枕カバーまで全部洗濯機に放り込む。これは何度目かわからない失敗なのだが普段の洗濯物(靴下とか下着とか)をシーツと一緒に洗濯から乾燥機までかけるとシーツの中に小物が巻き込まれてそいつらが上手く乾燥されない。今日はバスタオルが巻き込まれて少し湿っていて嫌だった。不快を失敗から学んで欲しい。ドラムの課題曲を練習する。まだまだ譜面を見て理解出来る程度の曲だがミスなくやり通せると気分が上がる。レッスンでも先生にほぼ完璧だと言って貰えた。(‘‘ほぼ‘‘というのは一ヶ所要らないところでバスを踏んでいるそうだ。こうゆう自分で気付かないところを指摘して貰えるとレッスンで良かったと思う。)Boysの新シーズンが来ていたので観る。前までの話を忘れているので最初から観直す。シーズンで期間が空きすぎると着いて行けなくなる現象、特に関心を持たず惰性で買い続けているコミックでもよくあることだ。惰性と言っても作品が悪いのではないから、一気見すると‘’めっちゃおもろいやん...‘’となるのだが。我ながら単純で助かる。レッスン帰りにお金を降ろしてコンビニで税金を払う。たまたまそのコンビニに古紙回収のコンテナがあってちょうど積んだままだったダンボールも処理出来た。税を払うという間違いなく正しい行為に捨てるべきものを捨てる場所に正しく処分出来た。得した気分だ。

 

とてもとても久し振りにマルシェへ出かけた。行こうと思って行けたのが嬉しい。興味のあることに向かって自分から進んで外へ出られたのだから。積極的孤独という言葉を最近知った。ロンリーではなくソリチュード。孤独にも種類があるのだ。自分を紐解いた気がする。マルシェでステンドグラスの小さい鉢とピアスを買った。衝動ではなくしっかりと意味を持って。そして無理にではなく導きと出会いのままに。良い選択をしたと思う。良い選択になって欲しいと思う。マルシェの帰りに理容室で髪を切って貰う。なんだかすごく行動的じゃないか。髪が伸びるのが嫌いだ。というか髭が伸びたり爪が伸びたりとかの代謝、‘’うぜ〜‘’と思ってしまう。勝手に伸びるな。切って貰った後は心地良いのだが。これはマルシェで作家さんと話す時もそうだが、私は行為に付随するちょっとした会話をとても億劫に感じてしまう。その億劫とは一生付き合っていかなければならないのだろうな。どんな場面でも多少なり気になることはあるけど大抵突拍子もないことだから私は会話下手だなと思う。美容院の自動で昇降する椅子っていくらなんですかとか、拠点を持たずにバンで全国のマルシェに出てるのなら住民税はどこに払ってるんですかとか、尋ねてもしょうもないだろう。

 

手紙という想いの出力方法が好きなので二月に一辺くらいの頻度で習慣化したい。字が下手なのが気にかかるがそれを上回る吐露の達成感がある。のだが......今回は本当に書くのに時間が掛かった。それこそ思い立ってから丸三ヶ月くらいか?筆というより気持ちを作るのに時間が掛かった。何が習慣化したいだ。‘‘手紙を書く‘‘の前に『好きな人へ宛てる』を付けろ。自分の中に間違いなくある感情のはずなのにどうしてか思うままにではなく変に畏って、なんだか言い訳をしているような文になっていた。(切欠と思い立ちが良くなかったか?)でもそのぎこちなさこそが宛てる人との関係性だと思うことにする。なにかを変えたかった訳じゃない。私の書くものはいつだって自己満足なのだから。

 

きっとまた、ないところにまるであるかのような振る舞いで終わると思う。苦い思い出と寝れない夜が増えるだけ。でもその瞬間の想いは実在した。出会いと導きがあった。そして名分が無いと動けない、損をするだけの自分を一度否定したかった。こうゆう繕いでいいか?私は本当に自分のことしか考えてないよ。ただ在ることが贈り物だと烏滸がましいことを考えた。虚しいな。だって捨ててしまったし、消えてしまったし、潰れてしまったし、逃げてしまったじゃないか。正しいのは瞬間の想いだけ。振り返った時に何か形が在って欲しかった。どんどん言い訳じみてくるな。もっとシンプルな方が好みだろう。それもわからない、私はなにも知らない。知ろうとしていない。怖いからだろ。

 

機会を逃したか?そもそも発端を作ろうとしたことが間違いなのか、気怠い天気でくらくらして考えられない。今日はもうやめにしよう。週末が面倒臭くなってきた。