Right to Light

陽ととなり

3月の希い

月曜の起きれなさ、重い身体と希死念慮を抱えて、今持つ自分の自決があまりにも愚かな道であることを知る。だがそれ以外に道が見えないのだ。

 

家族にプレゼントを買った。「プレゼントを買う」という行為は幸福でないと出来ないので逆説的に自分を幸福に置こうとしたらしい。抱えている間は良かった。喜んでくれて嬉しかった。正負の感情は混ざり合わないんだなと知った。打ち消しあってくれないんだなと知った。嬉しいし幸せで未来を見たいと望む一方でやはり孤独に道は無く仕事にも人にも見捨てられた己の自死を思う。寝ても覚めても消えない想い。起きながらに死を乞い薬で作られた眠りにつく。現実と被害妄想が錯綜して夢現の微睡みになる。起きているけど起きていない、眠気の残る午前中は新しく増えた薬のせいかもしれない。

 

また挑もうとしている。精査を重ねず半ば衝動的に、犠牲にするものが多いかもしれないのに自死の道からなんとか軌道を変えようと、朽ちた生活を変え未来を見ようとしている。きっとまた失敗するだろう。私は私のことならなんでもわかるんだ。失敗してそうしてまた芽を摘み負を積み今の環境を変えられずに終わっていく。春も夏も秋も。マシなのは冬だけ。今が一番辛いだなんて未来も見てないないのにどうしてそう言えるんだ?現にあの時もっと頑張っておけば良かったとかいう後悔の山に埋もれているだろう。この人生逃げてばっかりだ、くだらない。

 

春が来る。かつて求めていたものも今年には無い。賞味期限と同じ、過ぎたものは無かったことに、必要とされなくなっていく。歌、恋、詩、どれも色褪せて消えていく。どんな未来を思い描けというのだろう。酔っ払って美味しい料理とともに寝たいだけなのに。そのためには今の生活を、命を続けていけばいいだけなのに。春が来る度に何か変わってくれと願ってやまない。

 

 

今夜の話

今夜の話をしよう。今夜、そして、これからの話。

 

今夜の私、朝起きてからの私は死にたくて死にたくて堪らない。いなくなりたいというものはこれまで何度かあったけどここまで死にたいと思ったことは無かったと思う。具体的な死を、どうやって死のうか、リスカ?首吊り?投身?

 

なんでここまで死にたいんだろう?これまでだって同じような境遇や心境はあったのに。ああ、自分の価値が数字ではっきり示されちゃったからか。吐きそうだ。私はとうとう必要とされなくなって行く宛からも拒否され誰からも目にとめられないからだ。未来が、今までは辛うじで繋ぎ止めていた一線が切れたんだ。こんなタイミングで親が夕食を家に置いておいてくれた。なんてお礼を、いや、なにを言えば良いのかわからない。そして今、友達が連絡をくれた。もう運命がわからない。なにに導かれているのだろう。

 

どうやって死のうか?まず第一に他人に迷惑をかけるのはNG、線路飛び込みとか賃貸での自殺。首を括るのが用意的に容易だけど今の家には梁もドアノブも無い。服毒は用意が難しい。パッと思い付くのはオーバードーズだけど...やっぱり海に飛び込むのが一番安易そうだ。

 

なんで死にたいんだっけ?とりあえず遺書的なもの書いてみた。たった3000字ほどで収まるのが切ない。そして、遺書を宛てる家族も友達も好きな人もいるのにどうして死ぬんだろうと思えてきた。病院で死にたくなりましたって言おうかな。言ったところできっとなにも変わらないだろうけど。

 

また夜が来た。そして明日が来る。その続いていく命が私は怖い。あぁそうだ。だから死にたいんだ。

私はどうすればいいのだろう

○疲れちゃったなぁというのはいつものことで、なんだか全てが滞っている様な気がしてならない。楽しめていたことも楽しめなくなっていて大丈夫か?積み重ねの人生をする中で積むものそれ自体が自分から見つからない感じ。これが虚無か?

 

○趣味で躓いている。

f:id:HikaruRightman:20240310183934j:image

ここさぁ...小節跨ってバスを2回踏むせいで自分がどこにいるのかわからなくなってるのよ。難しい。初歩の世界から急に実践味を出された気がして一向に気持ち良く決まらない。音楽って難しいんだなって、いいや、これが壁というもの。最近ダーツもサボってるだろ?良くないねぇ。スコアが伸びなくなってるから楽しくないんだろ?全部判っている。ダーツに限らず何をやっても勝てないから。自分を何で測ったらいいか、一日を、一年を何で測ったらいいか分からないから。今年は閏年だったから、暦だってそうだ。今まで愛して慈しんできたものがあやふやになっているんだ。苦しい季節なのは承知だ。ここを越えるか超えないかで見る世界が変わるはずだ。でも少しくらい、趣味の世界でくらい私の居場所を感じさせてくれ。

 

○今週は天気にも恵まれてミモザを観に行く予定だった。でもなんでかなぁ、行かなかった。行けなかったのではなくて行かなかった。その選択に自分で気づいていることがどんどん嫌になる。嫌になるのは自分に余裕が無いからだと判っているのに。結局、いろいろ片付いていない近況に落ち着かないのだ。家のことも、家族のことも、生活のことも、友達のことも、仕事のことも、未来のことも、楽しめないのはどれも決着がついていないからだ。悩む頭が痛いことを抱える内に一日が終わっていく。今は、なんか全部嫌だなぁ。

 

○最近学生時代のバイトをしていた時の夢を見る。出勤簿を付け忘れて焦る夢。みんなどうしているか、なんて考えるだけで嫌になる。(全部って言ったでしょ?)健やかに生きているだろうか?私は嫌になっているぞ。

 

○今週はまた挑戦しなければならないことがあって、良いのか悪いのかこれもまた落ち着かない要素の一つだ。いろいろ慮ってもらっているところ本当に申し訳ないのだが心境は全く楽になっていない。経験があるだろう?なってしまったらもうお終いなのだ。私の中では、もう終わっていて、終わらせたくての挑戦なのだ。その挑戦に対しても万全を期しているかと言えば自信を持ってyesと言えない。嫌だね。人間的宿命が私を囲って縛って逃げられないように、そして気付かないうちに自己を詰ませる。私は抗うことも出来ずにただ奔流される枯れた葉。終わる時は誰も気にしない。始まることすら知らせない私の非なのだけど。

 

○まだ生きないと、なんてこの間話したはずなのにな。やりたいことがたくさんあってそのためには続く生活を受け入れなくてはならない。話したことがすごく遠くのことのようで夢だったんじゃないかとすら思う。どこでなにをしているのかすら知らないけれど君は君の思うように生きるのだろう(取らさざるを得ない選択ももちろん)。でも私はどうしたらいい。色がない春の鬱を抱えて私はどこに向かえばいい。雲を追うような気持ちだ。

 

 

 

誰のものでもいい、あなたを愛してる

朝が来るのが怖い。少し前までは夜が来るのが怖かった。生活が続いていくことに果てしない気持ちを抱いて今夜はこうしてブログに逃げている。久しぶりに散歩をしてみた。目的も行く宛もなく、ただただ歩くだけ。きっと家にいることが耐えられなかったのだと思う。部屋にいると感じてしまう明日から逃げたかったのだと思う。最近は寒さも少し柔らいできたのもちょうど良かった。得るものはなくただ時間が過ぎただけ、でも少しの間でも現実から逃げられる時間が欲しかった。思い返してみればある頃の私はずっと歩いていた。その頃も夜に家にいることが耐えられなくてだったと思う。ただその頃と今とで違うのは、かつては何かを探して外に出ていた。出会い、発見、気付き、己と向き合う時間として外に出た。同じ行為でも、かつてと今ではすっかり変わってしまった。

 

生きていることに意味があるのかと思う。この気持ちの先に何があるのかと思う。歩いている時、小さな川にかかる橋を渡った。暗がりの中、ここから落ちたらとりあえず明日からは逃げられるだろうなと思った。

 

私はやっぱり後悔を抱えている。与えられた選択肢に懸命になれず、これだけ自分と向き合っておきながら己を律することが出来なかった。最後の一押しを、あの瞬間に熱意を言葉に出来なかったことを後悔している。弱る。弱って死んでいく。少し自分に真面目にならなくてはならない。食事をしっかり摂って、身なりをちゃんとして、生活が続いていくことから私は逃げられないから、せめて少しずつ丁寧に日々を積み上げていくことから始めていかなくてはならない。行く末に愛も未来も見えないけれど、私は、もう何からも逃げられない。知らない土地でこれまでの感傷を捨てて全てを投げ出してやり直したい。そう願う思いすら自分から遠く感じる。いつか、いつかあの頃の様に、逃げることのない夜を過ごせる時が来るのだろうか。夜が、命が続いてしまう。今夜が未来の私を救えますように。せめてね。

明日は、明日も

〇少し気持ちが落ち着いた。

 

〇日曜からインフルに罹ってました。生まれて初めて。熱はそこまで高くならずに済んだものの咳が止まらない。そして肺がやられている。ちょっとの咳も“むせ”に繋がるのでずっと息苦しい。病院、咳止め薬はくれなかったな…そこを指摘する体力がその時の私には無かった。今はもう熱は下がったものの、仕事の準備中にメンタルがブレイクダウンしたので今週はずっと休んでいる。この選択が正しいかどうかわからない。そんなメンタルと罪悪感を抱えてしまっているので正直なところ家に居てもちっとも休まらない。ここ何週間は1日1日が途方も無く長くてきつかった。どれもこれも眠れないせいだ。インフルになってるのに眠くならないってなに?生存本能はどうした。結局普段通り瞬間的に寝落ちして数時間で起きる。病気だから心ざわりの悪い夢と汗のおまけつき。なんなんだほんとに。

 

〇咳&寝不足のダブルパンチで日中も目眩めいて目が回る。そんな状態で自炊出来る訳も無くそもそもの食欲も無く食事が疎かになる。(この中で日常的に子育てもして仕事もするのか??マジで尊敬するよ。)今日やっと米を炊いて食べた。美味しかった。休んでる間は(眠れないので)水周りを全部掃除してずっと気に入ってなかったディスペンサーを新調してネトフリで映画を観た。「マイ・エレメンツ」「リベンジ・スワップ」「シドニーホワイトと7人のオタク」…全部良かったな…最近感想が全て良かったなに収束するのが自分で良くないなぁと思う。良いところを述べるというのは難しい。

 

MacBook買おうかなぁと衝動的に思い始めている。衝動5、パソコン欲しいだけ3、実用的だろ2。パソコンというものに触れて無さ過ぎるのでこのままだとITなるものに私は風化してしまうのではという危機感もある。このブログもキーボードで打てるしなぁとか今のiPad反応悪くなってきたなぁとか要素はまま多い。スマホの端末を変えたのでアプリの使い勝手も変わり、それと過去の日記が見辛いんだよなぁ。結構核の不満ごとだ。

 

〇過去の日記を遡ってみれば私はなんとまぁ長い間同じことを残し続けている。いずれもいろいろと色濃く。忘れてしまったようなことでも自然と感覚でその時の情感を得られるものだ。遺産だね。それなら書いたことを忘れてしまってもいいということだ。私は楽しいことは書けないから(良いところを述べるというのは難しい)、悲しいことだけ。楽しいことは覚えておいて悲しいことは書いて忘れる。そうじゃなくても生活の端々に記憶は染み付いているものだし、抱えたままでは生き辛い。ここまでわかっていて尚…ということある。

 

〇ご供養を思い出すグミのことも、エビチリを作ることに感心してくれたことも、おばあちゃんの家でタンブラーを削ったことも、Carly Rae Jepsenを懐かしいと言っていたことも、間違ってバスキンロビンスを奢ってくれたことも、雨の中映画に付き合ってくれたことも、ほんの1、2時間の品川散策も、目的がそこしかない御朱印集めも、アサキも、花を観ることも生き物を観ることも、全部、ここに置いておいて良いのかもしれないな。

 

〇嗚咽のような息苦しさと締め付けられるような脳、目はずっとじんじんしている。また眠れない夜へようこそ。いつ終わるんだ?私は終わると思っているが、睡眠だけじゃなく、今のこの心境もいつか決着をつけてやると思っているが、本当に終わりがあるのか?決着をつけられるのか?また負けて自分を失くすだけになるんじゃないか?泣けるよ、本当に、クソ。ごめん。俺はまず自分を救わなきゃならなくて、そうじゃないと誰にも見て貰えない。ごめんなさい、私は他所の人に認めて貰わないとダメなんだ。出来るのかわからないけどそうしたい。辛いよ。笑えるくらい。まだマシか??希死念慮だ。

欲深くも君と話せたらと思ってしまった

昨日一昨日と寝つけていない。なんかもっとこう、運動的なことをしたらいいと思う。私の寝付けなさについて心的な部分はもうどうしようもない。少なくとも週末を迎えるまでは、落ち着かない感情はどうすることも出来ない。その週末も夜が長いせいでなかなか辿り着けない。薬もだんだん効かなくなってきているみたい。苦しい。寝られない夜に生かされない日を過ごして今夜もこうしてベッドの上に横になるけれど、吐きそうになる。また自分をダメなやつだと思い始めている。せっつかれてチャンスを与えられたのに一所懸命にもなれず、こうして予見した後悔に昼夜を喰われて未来をまた暗くする。私を真に苦しめているのは私なのではないのだろうか?

 

寝てないせいで頭が回らない。じゃあ眠くなるかと言われるとそうでもない。頭が回らないかわりに鬱々とした思考は巡り事態はどんどん悪くなる。なにに縋ったのだろう。占いだ20代だなんだと自分を納得させたのは因果をそこに起因させるためじゃなかったのか。巡り会いこそが本物だと、そうとしか感じ取れない自分の鈍さを取り繕うためじゃなかったのか。自分のためにも懸命になれないんじゃ他の人なんて到底無理。言われたもんね、まだだなって。

 

したいことなのかやらなきゃいけないことなのか区別がつかなくっている。洗濯はしたいけどクリーニングから返ってきたスニーカーは引き取った袋のままま。シャツもアイロンをかけなきゃならないし、明日の弁当の準備はしていない。キャパシティがおかしい。めくるめく日を謳歌する余地が無いね。あるのはずっとこのまま、また逃れられなかった生だけ。なんでずっと続くんだよ。綺麗な月を眺めながら肩を寄せ合ってそこで終わりでいいだろ。なんで次がある?なんで明日が来る?なんで寝なきゃならない?こんな暮らしは誰のためなんだ?いつか生命を整理しなくてはならない時が来る。それもまたいつかの因果の果ての果てに訪れる。最悪のタイミングで口を開けて。今までもそうだったからこれからもきっとそうだろう。良くない言葉だ。良くないことばかりが停滞した人生だ。今夜も眠れない。

H0vv Rчde!!

なんてことない日を無駄に気を張って過ごしてしまった。やりようのない苛立ち、堪え性の無い自分に期待することを止めたのに、なんだか1日喉が渇く。嫌な時間だ。殺すなら殺せと今でも思う。宿命というか、生まれ落ちた星の下からは逃れられないのかもしれない。知らない内に、気づかない内にその宿命が私を縛って取り囲んで逃げられないように、そしていつも、少しだけ期待させて最後には何も残さずに全てを奪っていく。燃え尽き症候群とはこういう日のことをいうのだ。考えることがある間はいい。自分がいる。世界に関与出来ている、気がしている。今は何も無い。気まぐれにこのブログを読み返してみたら7月の私は前を向いてなにか頑張ろうとしていたらしい。その力をちょっとでも今に伝播させられたら、在りし日の私の言葉は意味を咲かせるだろうに。

 

1日苛立っていたので夜ご飯はぐっつぐつに煮っ返した味噌汁(油揚げ入り)を作った。野菜も摂った。えらいね。でも苛立っていたので台所に立っている間はずっとギアッチョの声で憂さを晴らしていた。ムカつくぜ。これから私がする(であろう)ことをきっとあなたは非常識と罵るだろう。だけどな、こっちだって一日一日、生を掴み取るのに精一杯なんだよ。とりあえずそこに今のあなたを組み込む余地が無い。私は、例え現実逃避でも未来を見ていたい。なに、どうせいつもの戯言で終わる。また週末が来ればもう考えることもなくなって未来も終わる。そしたら何事も無かったかのように振る舞うさ。振る舞えるか?自分でも気付かない宿命にとり囲まれているとしたら、私は、恥のために死ぬ。恥のために、弱り後悔して自分の腕を切るんだ。こんな日の私をいつかの私が咲かせてくれるのだろうか?

 

お風呂の温度が48℃だと熱過ぎて47℃だとぬるい。ムカつくぜ。こんな日はとっとと終わらせるに限る。昨日もそうだった。明日もきっとそう。私には逆らえない宿命なのかもしれない。味噌汁、美味しかったな。月が綺麗だったことも伝えられたらよかったのに。