Right to Light

陽に当たっていたい22歳とその日

圧殺

自分の選択が正しいのか正しくないのかなどわからない」「選んだ道を、ただ後悔しないように生きていくのだ

ほんの数年前の、まだ青春に身を置き、恋と勉強に明け暮れた10代の僕は、本気でそう思っていた。大きな選択の後にどんな未来が待っていようと、それも運命として生きていこうと、自分は生きていけるだろうと、本気でそう思っていた。10代の僕はその考えが間違っているとは思っていなかったし、そこに正しさは必要なかった。ただ自分の人生の中心に僕が居ればいい、それが生きることだと考えていた。僕は世界の中心だった。僕は生きる為に世界を回していた。自分の望みを叶える為に、人の役に立つ為に、あの娘の笑顔を見る為に、この右足を軸にくるりとターンしてみれば、それだけで世界が動いた。そんな若者だった。

 

20を過ぎても、僕は世界を回していた。それこそ人目も憚らず、回したい時に回したいだけ、踊れば踊るほど、世界は輝いた。生きることに充足していたしそれがまた輝きを増し、選択することを恐れず全て運命だと受け入れることが出来た。それが僕の価値だった。今もあの頃と変わらない。僕は何一つ変わっていない。選択に後悔したことはないし運命論者は僕を救う。それでも今の生活が暗く思えるのは、どうしてだろう。

 

自分の選んだ道を、後悔したくないからこそ必死にもがくのに、もがけばもがくほどに、孤独感は増し虚無感に侵される。今にも落ちてきそうな灰色の空の下で、自分は何をしているのだろうとずっともがき続けている。最近ではもう何の為に動いているかもわからなくなってきた。目的も役割もない人間に世界が回せるか。今の僕には居場所がない気がしてならない。結局僕の居場所は僕の世界にしかなかった。外に用意してもらった居場所は、僕の選択のおかげで失くなってしまったようだから。その場所に居た過去の僕が、本当に僕だったのかすらあやふやだ。僕はどこの誰でもなくなってしまった。名前も顔も、どれが自分のものかもわからなくなってしまった。

 

後悔しない選択はできる。した選択を後悔しないものに努力することもできる。10代の僕はここまでは理解していた。しかし考えが及んでいなかったのは、した選択に努力が及ばない時、それに苦しめられることがあるということだった。誰のせいでもない、自分のせいでもない得体の知れない感覚が世界を蝕み殺す。努力は万能じゃない。交通事故と同じだ。いくら自分が気を張っていようと、他者の行動一つで全てが終わる。あまりにも現実的で精神的で過酷な毎日だ。何を頼りにすればいいかもわからない、自分すらどこにいるかもわからない毎日で、どうして世界が動かせよう。選択する前の僕に言いたい。希望を持つな、この選択はどっちに転んでも苦痛だと。

水底に臥すこのこころを嘆くとて

久しぶりにバイト先に顔を出して話をしてきた。バイトを辞めてからしばらく経つがそこで話をする僕は間違いなく働いていた頃と変わらない僕で出てくる言葉も当時のままだった。近況を少し話す内に、僕も変わってしまったなと感じた。話している僕は当時の僕なのに、それを見ている僕はまた別人だった。そうなるとどっちが本当の僕かわからなくなる。と言っても人間の本質、話し方や態度なんて環境とコミュニティ毎に変わる。周りが変われば僕も変わる、ただそれだけのことなのに、懐古からか、僕は昔の僕に、あの頃の僕に戻りたかった。過去に戻りたいのは現状に満足していない証拠だった。

 

もう何も出来る気がしないのだ。理想への努力も、周囲への期待に応えるのも、最低限の求められる姿勢すらも、全てのやる気がブレーカーを落とし蝋燭の火が消えるようにゼロになった。今はただ、風に揺られるままの白い煙を上げて突っ立っている。少し突けば倒れる程の、それ程の頼りなさを自分で感じている。もう一度火が点くことはあるのだろうか。少なくともまわりが火を持ってきてくれることはなくて、己の心にある火種を大きくしていくしかない。火種が残っているかすら今の僕にはわからないが。

 

海の底にいる。陽の光が辛うじで届く、薄暗い海の底にいる。そこは穏やかで潮の流れもなく居心地がいい。陽を浴びようと水面まで上がろうとしても、力及ばず、居心地のいい底に戻ってしまう。泳ぐのは疲れるし、しんどいし、その先が今よりいい場所かわからない。それでも何度も浮上しようともがくのは、その水面の先を見てみたいから、陽の光を浴びたいからだ。「次こそはやってやる」と「次もダメかもしれない」の間で、上がるにつれて強くなる波に揉まれながら、「またダメだった」を繰り返しながら、浮上をする。何も出来る気がしないが、何かしなければならない。今の僕に残された道は、そんなトライ&エラーに耐えながら浮上することだけらしいのだ。生きることはなんと難しいことか。社会という海は想像以上に冷たく自分勝手だ。

 

「やれば出来る」という希望じゃない、「(程度はどうあれ)やったけど出来なかった」という事実の重りを抱えて水面を目指す。このまま水底にいたい、静かで穏やかな海の底で眠っていたい、朝が来て光が薄く差す度にそう思う。しかしそれではぼくは生き物ですらなくなってしまうと思うのだ。色を失くし海藻が絡む無機物になってしまうと思うのだ。僕は生き物でありたい。

何の役にも立たない僕へ

僕は冷めた人間だった。頭が特別よかった訳でもなく、運動が特別出来た訳でもなかった。言葉が知己に富んでいるとか、ユーモアに溢れているとか、そういうことは一切なかった。小学校を卒業して、自分という片鱗が少し見え隠れしてきた時期から、その時から僕は冷めた人間だった。生来からそういう人間だったのかもしれない。別に何かに全くの無気力ということでなくて、部活は一生懸命やっていたつもりだし勉強だって一生懸命して普通のラインを維持していた。それでも過去を振り返ってみて物足りなさを感じるのは、その一生懸命さが自分から生まれたものじゃないと、今になって考えるからだ。その一生懸命さが必要だと、今になって思うからだ。

 

自分から生まれる熱さ、情熱。それを持っている人とそうじゃない人の違いは高校位からはっきりしてくる。「こうなりたい」「あれをやりたい」、そういうビジョンを持っている人には情熱がある。僕にビジョンがなかったとは言わない。でもそれは自分から生まれたものではなくて、人に勧められたものだった。僕の中の情熱は、いつも人に点けてもらうものだった。僕が欲しいのは、いつだって情熱だった。この身体を突き動かす、熱く、猛る情熱。

 

何をするにも納得は必要だ。納得が力になる。自信の裏付けになる。情熱を求める今の僕にも納得がいるのだ。働く理由がいる。ひいては生きる理由がいる。その理由が見つかれば、夥しい程の面倒臭い障害も少しは軽くなるはずだ。意図のわからない説教も、関わりたくもない人間も、「あぁそういうものなんだ」と納得して進めるはずだ。間違えてはいけないのが、納得は許すことではないということ。事実は事実として受け入れ、それでも許せないことは、許せないこととして受け入れる。理不尽は許してはいけない。このことを忘れてはいけない。

 

情熱をエネルギーに、納得を持ち、理不尽を許さない。これをしばらくの目標にしよう。陽が長くなった。バスは揺れる。電車は来ない。風は湿気を運んでくるし野良猫は歩く僕をじっと見る。どうしようもない他人のことを考えるのはもうやめだ。どう見られようと、腫れ物扱いされようと、無能の烙印を押されようと、全ては結果で納得で受け入れるしかない。その納得の生活の中で、欠片でも情熱を見出せればそれでいいじゃないか。高望みをし過ぎたのだ。

 

叶うのなら、僕のこの愛すべき初夏の決意に靄をかける、邪魔なプライドを滅多刺しにしたい。

 

今週のお題「もしも魔法が使えたら」

ひとりのいろは

雨は嫌いだ。濡れるし冷たいしムシムシするから嫌いだ。傘で手が塞がるから嫌いだ。髪が曲がるから嫌いだ。テンションが下がるから嫌いだ。僕は雨が嫌いだ。雨が好きな人もいると思う。実際に確認をした訳ではないけど、感覚として雨の日に普段よりテンションが上がる人はどのコミュニティにも見受けられる。台風が来るとワクワクするみたいに。大雪が降るとワクワクするみたいに。いつからか、そんなワクワクは僕から失くなったように感じる。

 

傘をさしていると孤独を感じる。隣までの距離は離れ視界が狭まり視線は下向き、横に知ってる人が居ても気づきやしない。前をよく見ようと顔を上げれば、かかる雨がうっとおしい。いっそ何も感じず何も気にせず濡れることができれば楽なのに、といつも思う。でも雨が降ろうが会社には行かなきゃならないし、びしょ濡れで電車には乗れない。体面が僕に傘をささせる。自分が本当に傘をさしたいのかわからなくなる。雨の日に傘をささず踊る人がいたっていいじゃない。雨の日の僕は孤独である。

 

雨は僕から自信を奪う。「降らせるなら僕の気分に合わせて降らせやがれ!」太陽にそう怒鳴ってやりたい。今は隠れてくれるな太陽。僕は傘をさす。我儘になりたい年頃だ。いつも晴れは調子が狂う。偶の雨も必要だ。僕の気分に合わせてくれ。少し寂しい気分の時だけ、少し降らせてくれれば十分だ。少しの変化と刺激があれば十分だ。それ以外は放っておいてほしい。我儘なのだ。自分の欲望は自分では決められない。"超"自分的な、"超自己"が僕の全てを決める。その日の気分も、その日の言葉も、その日のテンションも、その日の面白さも、その日のやる気も、僕は何も決められないのだ。僕の中の別の何かに従うしかない。その何かは僕をどうしたいのだろうか。夜にした決意は朝日とは逆に沈む。夜に描いた理想は、朝になり現実を知ると姿をくらます。理想と現実のギャップの豪雨を、僕の傘は防げているのだろうか。自慢ではないが僕の傘は生まれてこの方新調したこともなく、穴は空き柄は錆び雨なんて凌げやしない。できるのは顔を隠すくらいだ。ギャップに苦しむこの顔を、穴だらけの布でなんとかするのが精一杯だ。

 

ギャップの雨はまだ止む気配がない。傘を放り出したい衝動を抑えながら、ギリギリのプライドで柄を握る。とにかく今は晴れることを祈るばかり。それか、傘が要らなくなるよう"超自己"がしてくれるのを待つばかり、だ。

 

それかあとひとつ。ずぶ濡れのこの顔を、「水も滴るいい男」なんて言ってくれる人と出会うのを待つばかり、だ。

死にたさに疎くて

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マイ・インターン」を観た。アン・ハサウェイは綺麗だ。今の仕事でも40年も続ければベンみたいな冷静さと機転のある紳士になれるのかなんて考えるとやってやるか!という気持ち、一方で40年か……という今までの人生の倍という長さに脳がエラーを起こす。人生は経験だということを考えさせられる。こればっかりは手に入れるまで続けていくしかない。生きていくしかない。経験が自信となり自信が余裕を生む。2年目の先輩は楽しそうに仕事をしている。知識も多い。今の僕からしてみると、絶対あなたみたいに知識豊富で楽しそうにはできないな、といつも思う。そのことを伝えると、1年目の時はその先輩もそう思ってたそうだ。それでも続ければいずれわかってくるものがある、見えてくるものがある、仕事を考えられる様になる、そう言ってくれた。生きたいなら働かなければならない。仕事を続けなければならない。

 

もっと運命的に考えるべきだ。なるべくしてこうなった、自分は導かれたのだと。理不尽さを許してはいけないが、拒絶ばかりでは続かない。寛容さを少し失くしていたように思う。

 

続けていきたい。その為には刺激が必要だ。生きる活力になるような、大きな目標、成りたい姿、求める理想。夜眠るのが楽しみになるような、素敵な刺激が欲しい。はじまりの予感はもうすっかり息を潜めて、ここ数年姿を見せてくれない。だから自分から探しに行かなくては。新しいことを、してみたいことを、リスクと相談しながらもやや無謀気味に探しに行こう。忘れていた。僕は文明人だった。少年の心を持っていた。青年の好奇心を持っていた。毎日を丁寧に過ごそう。毎朝しっかり身なりを整えて、元気じゃなくてもいい、穏やかに過ごそう。晴れの日は太陽を浴びながら、雨の日は雨と踊りながら、ひたすら丁寧に。休みはもっと外に出よう。買い物でもいい、歩くだけでもいい。外の世界に僕の姿を見せる。僕はここでこの街で丁寧に生きているぞ、なんとかやっているぞと。小綺麗な服を着て、紳士さを忘れず穏やかに、愛しいものを愛しいと伝えよう。たまにお酒を飲んだりもして、未知の世界に自分から飛び込めるような、そしてそれを経験と捉えられるような、そんな文明人を目指そう。

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愛は必ず勝つ。世界はかなり寛容だと最近思うようになってきた。余計なことは考えなくていい。気遣いが必要な時もあれば要らない時もある。無意味な思考は行動を鈍らせる。なるようになるのだ。世界はそういう風にできているし、そういう風になった人で溢れている、はずだ。久しぶりにディナーデートがしたくなった。無意味な思考をぶった切ろうと思う。死にたさを抱えるのはそれからでいい。

憎しみを持ってしまった

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憎しみを持ってしまった。道を塞ぐ女子高生、電車の向かいに座るサラリーマンの靴下の色、未読のLINE、捗らない勉強、変わる信号、残業代の出ない会社とそれを黙認する社会、24時間しかない1日、隠れる太陽。とにかく大抵の周りのものに憎しみを持つようになってしまった。ほんの数ヶ月前まではそんなことはなかったのに。僕は人生を愛する青年だったはずだ。陽に当たること、雨の音を聴くこと、その日に着る服、たまの買い物、耳に届く音楽、街行く人の顔。とにかく大抵の周りのものを認め愛していたはずだ(それでも確か道を塞ぐ女子高生は嫌いだったけど)。

 

春からはじまった労働はそんな愛を確実に僕から奪っている。愛を持つ余裕もなく、降りたくもない駅で降り向かいたくもない職場へ向かう。朝閉じかけの眼を擦りながら家を出てから、また閉じかけの眼を擦りながら家に帰るまで、労働は1日の半分と気力を僕から奪い、それだけでは飽き足らず、夜眠る至福、明日への楽しみまで奪っていく。

 

金銭面で言えば、学生とは比べものにならない位リッチになった。欲しいものを悩まず買えるようになったし通帳の数字が増える瞬間はなんだか報われる様な思いもある。それでも今は、失ったものを求める気持ちの方が大きい。朝はあと20分長く寝ていたい。

 

そんな中でも、仕事をしながら多少なり達成感があったりするのだ。その瞬間は、昨夜から必死に磨いてきた辞めたいという思いが輝きを失くす。もう少しやれそうだな、なんて何回目かもわからないやる気に満ちる。そうしてまた、社会に飼い慣らされる人間が出来上がるのだ。今も磨いているこの思いを、失くしそうになる自分が憎い。

ずっと寝ていたい

楽しいことがあれば苦しいこともある。上手くいくこともあれば悩むこともある。それが人の世、人の生。楽しいことは記憶に残る。苦しいことは早く忘れたい。でもだからこそ、忘れてしまうからこそ、自分の苦しいこと、暗い部分を残していくべきだと思う。

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暗い絵(0 0  )

 

こんなはずじゃなかったって思うことなんて山程あって、ひとつずつ挙げていったら本ができる。僕には積み上げてきた自信があった。高校、大学で磨いてきた自分という個性、能力、言葉。全てがオンリーワンだった。自分らしくいることを否定されず、それがまた自信になった。僕は僕だった。毎日が楽しかった。

 

だが今はどうだ。自分でもこんなに簡単に崩れてしまうのか驚く程に、今の自分に自信なんて塵一つ残っていない。自分がどんな風にいたらいいかわからなくて頭を抱えて、結局どんな風にいてもその場に合う自分が見つからなくてそれがすごいストレスになって……まずは自信を持たせるべきだった。どんなことでもいい、簡単なことでいい。僕にしかできないことを作るべきだった。必要とされたかった。そこで自分の力を発揮して、少しでも認めてもらいたかった。それが一歩になって歩いていけるはずだったのに。踏み出した瞬間にもう転んだ。他のみんなはどんどん先へ行く。

 

転んだままでいたかった。リタイアしたかった。でもそれは社会が許さないし僕も許さなかった。だから助けてもらってもう一度スタートラインに立たせてもらった、のに。また転ぶ不安がずっとつきまとう。転ばなかったとしても途中で足が動かなくなるかもしれない…不安が足元に蠢いている。不安のない人間はいないけど、それでも払い方を知ってたり起き上がるのが早かったりする人は本当にすごいと思う。

 

今の僕はとことん後ろ向きだ。転んだことによる自分への憤りと情けなさ。先へ行ってしまうみんなへの焦り。

 

またやり直したい。何も知らないところで、誰も知らない人と。僕の人生はいつも遠回りだ。