Right to Light

陽ととなり

あの夜のイサナ

家を出て北へ車を走らせると信号がある大きなT字路にぶつかる。そこを右折。これまた大きな池をぐるりと反時計回りに北へ、北へ。その内に右手に小さい頃よく連れて行ってもらった洋食屋さんが見えるのだけど、幼げでおぼろげな記憶を懐かしみながら坂を下って行く。またT字路にぶつかるので今度は左へ。それで国道に乗る。後はひたすら真っ直ぐ。北へ、北へ。そうして到着するのが、僕にとって、ちょうどいいお店。

 

当時仲の良かった女友達からそのお店の存在を教えてもらった。串焼きとカニクリームコロッケが美味しいらしい。あまり外食をしない僕はその時は半分聞き流していたけれど、今思えばそれは僕の青春において最も熱い情熱の第一歩であって、最初で最後のひとふみであった。

 

前日に車を洗った。洗車機を通して拭き上げ、ワックスを2回かけた。当時から今でもずっと聞き惚れているアリアナのCDをかけ、かつてない胸の昂りと緊張に挟まれ時間を待った。夏の暑さがようやく過ぎ去った10月の終わりの頃の出来事で、ちょうどその日に眼鏡を新調したことを覚えている。その日は悩んで結局コンタクトで出かけたのだけど、目が乾いたのはきっとそれだけが原因ではなかったように思う。秋口の寒さを感じさせる薄青い夕方の空に彼女は時間通りにやってきた。いつもとは違う服装で、こんなことでドキドキするなんて中学生みたいだなと思った。というのも彼女の服装はなんだか中学生みたいだった。teen誌に載っている"大人コーデ"を想起させた。それでも彼女は立ち姿こそ大人そのもので、そのキャップを被っているギャップに僕はとことん撃ち抜かれた。それで何度目だったのかは覚えてないが、とにかく撃ち抜かれた。穴だらけになった喉元からラブレターが漏れ出しそうになった。彼女を助手席に乗せて北へ、北へ。行き先はあの時教えてもらったお店。さも自分で見つけたんですよという風に、串焼きとカニクリームコロッケが美味しいらしくて〜と、とにかく緊張と沈黙を紛らわせることに必死だった。北へ。道なりに、北へ。店の裏にある駐車場に停めようとしたら彼女に「前に来たことあるの?」と尋ねられた。とてもじゃないが「あなたと来る為に事前に下見をしたんですよ」と事実を伝える余裕はなくて、黙ってギアをRに入れた。

 

お店に入ってからの僕の感情は、残念ながらあまり覚えていない。思い出そうとすると恥ずかしさで沸騰しそうだ。それでも、串焼きとカニクリームコロッケは確かに美味しかったこと、彼女が頼んだバーニャカウダというものを初めて食べて僕には美味しさがよくわからなかったこと、彼女はキールとモヒートを飲んでいたこと、それがとても良く似合っていたこと、それらだけは強く記憶している。 至福とは時間と空間を共有することだと、知性を持ってはじめて気付かされた。

 

最初で最後のあの3時間に、一体どれだけの想いを込めただろう。でもあの夜だけが、僕にとっての一世一代だったのだ。今日動かなければ自分は自分でなくなってしまうだろうと、自分を救うものは理解の外からやってくる情熱なのだと、彼女はそれを僕に教えてくれた。時間は夜を越えて、心に少しの傷と教訓を刻みこんだ。

 

あれから数年経って、彼女はもう居なくなってしまった。これから先連絡を取ることはないだろう。若さはこれからも進んで行く。時に息苦しくなるかもしれないし、酷い傷を背負うかもしれない。それでもあの夜の傷は刻印となって僕を導いていく。あの夜あのお店でなかったら、そんなことを考えても仕方がないが、あの幻のような夜の幸せと緊張感を思い出させてくれるちょうどいいお店になってくれた。

 

飲むならモヒートを。食べるならバーニャカウダを。偶に足を運ぶ僕はそこでほのかな残照に照らされて帰路に着く。南へ、南へ。