Right to Light

陽ととなり

みんな大人になっていく

思えば金曜日からの3日間ほとんど外に出ていた。お家大好きのインドア人間(半引きこもり)にとってはなかなかないことだ。金曜日は朝から研修で電車に揺られて、そのまま直帰で友人と串焼きを食べに行った。土曜は昼から同級生と、ハンバーグを食べてダーツをして飲みに行って……ダーツって面白い。狙える技術を持てたらあれはすごく面白いぞ……!マイダーツとかをほんのりAmazonで調べてしまっている。日曜は朝からレガッタを漕いで、太陽と水面からの反射で両面焼きのハムエッグになるかと思った。汗だくになる運動はいいものだ。昼には帰ってきて思い立つままにマドレーヌを焼いて、冷めたら出かけようと思っていたのに昼寝しちゃって寝起きで晩御飯を食べて夕涼みドライブに出たのに外はまだ全然暑くて……今日も終わっていく。

 

楽しみを見つけて暮らしていくことはとても素晴らしい。終わる切なさはあるけれど、また自分で作っていけばいいんだと思える間柄を持てている現状は、すごく喜ばしいことのはずだ。1日ずっとクーラーの部屋に居ても生まれるものはない。僕が求めるものが刺激なら、この週末は実に適度で有意義だった。人と交わる感覚、言葉を交わす感覚、身体を動かす感覚、どれも久しぶりで都度夜が来る度に身体の真ん中にじわっと広がって行く喜び。汗を流した身体からベッドへ疲れが染み出して溶け込む快感。僕が求めるものが刺激なら、今日は気持ちよく眠れただろう。ただ、どうもそうは行かないところが我ながら面倒臭い性格だ。この3日間で、僕は何か変化を起こせたか。行動出来ない人間に変化はない。部屋の中にいるのと変わらない。

 

性格なんてどうやったってすぐに変わるものでもないしなんならもう一生このままだと思っているけど、動けない自分を俯瞰している自分が情けない。人は変われないと確信しているのに変化を求めている自分が嫌いだ。僕は変われないと思っているから、もう目の前に落ちて来る選択から自分に良いものを拾っていくしかないのだと思う。拾って拾って、たまに来た道を振り返って「全然進んでねぇな」とぼやく。拾って拾って、たまに周りが拾っているものを覗き見て「私のものとあまりに違う」と嘆く。嘆くのだ。僕が今まで良しとしてきた世界と現実があまりに違うから。その齟齬を口に無理矢理押し込まれて、置き去りを味わう。今まで積み上げてきたものが何も通用しない無価値な無機物に成り果てて、そこに費やした年月の喪失感にもう何が正しいのかわからなくなる。だから無意識に自分を守っているのだと思う。自分の中で、変わらないことを良しとしておかないと、僕は世界のスピードについていけず外界の刺激にショック死してしまいそうだ。結局変わりたいのかそのままでいたいのかすらわからない。

 

平成最後の夏が来て、それはあの頃の夏と同じように過ぎ去って二度と戻ってこない。それを理由付けにする訳ではないけれど、言葉にするのも気恥ずかしい何かに焦っている自分がいる。