Right to Light

陽ととなり

今日の幸せを許して

雨の中を歩く。傘が邪魔だなぁとか足元が悪いなぁとか、そんなことばかりが障害ではなくて、きっともっと晴らしたいものが溜まっているからこそ、わざわざ雨の中を僕は歩く。焼肉の煙の香り、連なるスーツの人、帰りの電車でを待つホーム、そこかしこに昔の僕の面影を見る。少し前は自分もそこに存在していたのに、もう今ではすっかり変わってしまったなぁ、また戻ることができるのかなぁなんて不思議な懐かしさを覚えたり。その面影に想起されることはどちらかと言えば辛く切ないものなんだけど。振り払えると思っているのなら少し考えが甘いのかもしれない。孤独との付き合い方をアップデートしていく必要がある。切なさと付き合わなければならないからこそ僕は歩くのかもしれない。暗く深く自分を見つめて雨に唄えば、その時だけでも孤高になれる。気高く振る舞える気がする。その時だけは、不甲斐ない自分から目を反らせる。それが許される気がする。

 

いつだって自分はここにいていいのかと問い続けてきた。自分で作った居場所でもそれがあまりにも不自然な不用意な気がして安心できないから。そもそも落ち着ける場所が欲しいのかすらよくわかっていないのに、満足できるはずがないのに。ないものねだりが度を過ぎて、自分を責めることしかできない。もっといろんな選択ができるのだろうけど、どれもあまりにも自分から乖離しているように見えてならない。はぁ、本当にどうしようもない。未来を切り開く覚悟すら持てない今に、文句を叫ぶ資格はない。もっともっと、毎日が楽しいことで溢れていたらいいのに。なんの不安もしがらみもなく、ひとりひとりが孤独と触れ合いの中で個性を認め合えればいいのに。でもこれ、現実なのよね。

 

今日みたいに楽しい日がずっと続けばよかったのに。そう願ってやまないのはまた明日がくると孤独に放り込まれてしまうからだ。ありとあらゆる場所で試され己を磨き、それでも満たされなければ努力不足だと即座に切り捨てられるからだ。でもこれが、現実なのよね。

 

暗くなるつもりはなかったのになぁと思ってももう遅いみたい。でももう少しだけ、太陽が昇るまでは、夢を見させてくれ。過ぎ去った幸せに浸らせてくれ。