Right to Light

陽ととなり

私の大好きなこの情熱を同じように愛してくれる人へ。

それは僕に縁遠いものであったはず。それでも記憶を遡るとこんな僕にも仄かに色が付いていた青春時代があり、今思えばあの時生きていた僕は本当に僕だったのかと思う程煌びやかな毎日だった。円周率を聞かされ続ける眠く退屈な授業があっても、昼休みだけは違った。どんなに部活で走り回り泥まみれでヘトヘトになっても、帰り路だけは違った。お互いに色の違うジャージで、照れ臭く交わす言葉も、ぎこちない距離感も、冷やかされる声も、その左手の感触も、ひとつひとつすべてが生きるエネルギーになっていた。そのエネルギーで停電の村がひとつ救えるくらいの、宇宙からでも煌々と輝く光が僕達だった。夜眠るのが楽しみだった。慣れない手紙のやりとりも甘酸っぱい想い出で、ネットで手紙の折り方を調べたり、夢ですぐ会えるねなどとのたまってすぐさま羞恥心に溺れたりもした。生きる上で必要なことは、すべてそこにあった。そのために生きていると思っていた。初恋にピンクグレープフルーツを添えたような、鮮やかで酸っぱ過ぎる恋だった。

 

僕のピークはどうやらそこだったらしい。ブランクは経験に霞をかけて僕を育てていった。あの頃みたいなピンクグレープフルーツとは違う。思春期を越え自我に芽生えた自分に僕は何を思えばいいのか。恋に生きることは人の性のひとつとして、指を滑らせるだけで文字を綴れる現代に、助けられも苦しめられもする毎日を過ごしている。情緒が欲しい訳じゃない。でも淡白過ぎるのもロマンが欠ける。夜を越える度に、使う相手のいない言葉だけが溜まっていく。虚しい。

 

人を好きになるのは素晴らしいことだ。なんとか認めてもらおうと必死になって自らを磨く姿には、多少の痛々しさはあれど笑顔になれる活力がある。モノクロの映画に浮かぶ赤いドレスの彼女を追って、月に相談し太陽に励まされる恋をもう何年していないのだろう。

 

今まで抑えられない情熱に掻き立てられることがなかった訳ではない。その度に筆をとり逆上せた頭で熱くその想いに胸中を溶かし言葉を吐き出しても、決して、決してその手紙に宛名を入れることはしなかった。宛名を入れてしまうとこの愛すべき情熱が消えてしまう。自分が好きなのは一体誰なんだと、その一瞬が冷や水となり熱された鉄のように音を立てて僕の情熱は冷めていく。恋する自分が好き、じゃいけないのだ。はじまりの予感を求め奔走する一方で、ただ愚直に振る舞うことに怖さを覚える背反。傷付く勇気を持てない今はその板挟みに悩みつづけている。だからこうして僕は今日も夜と寂しさの肩を抱き、書き終えて送るはずの恋文を渡せないでいるのだ。

 

私の大好きなこの情熱を同じように愛してくれる人へ。

 

今週のお題「あの人へラブレター」