Right to Light

陽に当たっていたい22歳

さみしさのセオリー

楽しかったことがあった時程それを形にして残そうと思っていたけど、最近その形の作り方を忘れてしまってもったいない気持ちになる。楽しい時間を過ごした分だけまた孤独になる。人と話した分だけ自分と話さなければならない。向き合わなくてはならない。その楽しさの余韻に浸ったまま眠りにつければまた続く夢を見れるのに、これはもう"サガ"である。さみしさが募り過ぎた者の性分であるから変えようとしても染み付いていて拭えるものではない。僕は僕のまま、変わることもなく憧れ傷付き偶に身の程知らずの恋心を抱く。抱いているその気持ちに身を切られているといるのに、学びもせず痛みに耐えるのだ。負けるはずがない磨き続けてきた自己愛すらも、その時になれば劣っていることを目にしてしまうのだ。何者にもなれないことは解っている、だから自分になるしかないのに、その自分すら……ここまでくるとその出来事すら本当に楽しめているのかと疑問符を打ってしまうのが悲しい。目指すべき姿を失った人間はいったいどこへ向かうのか、道導すら掴めないまま楽しさは夜に浮かんでそのまま黒い空に溶ける。

 

知って欲しい部分と知られたくない部分、知りたい部分と知りたくない部分、その線引きに躍起になっている内に時は過ぎ夜は更け結局何も生まれることなく終わる。手元にあるのは元から持っていた表面ばかりピカピカの中身の無い偶像だ。その偶像で何をしようとしていたのかも今ではもうわからない。捨ててしまえばいいのにずっと持っていたものだから薄気味悪い愛着が付いてしまって、もう握りしめて付き合っていくしかない。何度試しても誰にも自分を感じることはない。似通った部分を、愛せる箇所を、許せる相違を。そうして異端なのは自分の方じゃないかと、自惚れと共に気付かされる。その違いや価値を越える程の情熱も愛も生憎持ち合わせていないのだ。これを手に入れない限り、さみしさは増していくし幸せにはなれない。

 

募ったさみしさはその上で寝るには不安定過ぎる。だから少しばかりの納得で落ち着かせたいのだ。そのさみしさにもちゃんと理由があるから、得るものは何かあるから探してごらんと、声に出して言って欲しい。こんな偏屈な考えを許して欲しい。然る後この僕に愛を。そんな安心があれば、また楽しい夢を見れる。心の内を落ち着かせるセオリーを探して、阿呆な僕はまた求め傷付くのだ。