Right to Light

陽ととなり

疲れたなんて言えない

せっかく書いたものが全部消えちまいやがった。せっかくだから要点だけさらさらっと思い出せるだけ思い出す。風呂上がりの火照った頭とベッドに溶ける身体でもそれくらいは出来てほしい。「疲れた」なんて言うのもおこがましい生活の中で、僕はそう学ぶ。人間上手いことできているなぁと感じるのだけど、どうやら痛みからしか学べないのだ。得て進み挑み、叶わず折られることでしか人は学べないのだ。学んで今日の端から明日の淵へしがみついていかないと、きっと道を見失ってしまう。バイト中に常連の御仁に言われた。

 

「今がきっと役に立つ時が来る。信じて続けなさい。」

 

僕の身の上を知っての言葉なのか、そうでなくとも、この一言で救われる思いがした。赦される訳でもなく裏切った事実が消える訳でもない。それでも、心にかかっていた靄と抱えていた憎しみが、たしかに和らいだ。僕は信じている。折られても立ち直れると信じている。腐らず前を向いていれば、栄光に手が届くと信じている。悲しいことはあるけれど、そればっかりじゃない。気づかないだけで少し目をやれば、今のこの生活の僕にも価値があるんじゃないかって、そう思わせてくれた一言だった。バイトに染まる生活でも、こんな僕を慕ってくれて頼りにしてくれる人がいて、身に余る程の光栄と幸せじゃないか。みんなが好きで好きでたまらない。その貰った活力でまた挑んでいけばいいじゃないか。挑んでダメでもまた元気を貰えるんだから。弱音は吐くかもしれないけれど、それはきっとすぐ過ぎ去る冬の風。春を思えば僕は腐らず前を向ける。その繰り返しで構わない。希望と憂い、そのループの中で生き続けることだ。

 

チョコレートは美味しい。今はそれが幸せだ。