Right to Light

陽に当たっていたい22歳とその日

ひとりのいろは

雨は嫌いだ。濡れるし冷たいしムシムシするから嫌いだ。傘で手が塞がるから嫌いだ。髪が曲がるから嫌いだ。テンションが下がるから嫌いだ。僕は雨が嫌いだ。雨が好きな人もいると思う。実際に確認をした訳ではないけど、感覚として雨の日に普段よりテンションが上がる人はどのコミュニティにも見受けられる。台風が来るとワクワクするみたいに。大雪が降るとワクワクするみたいに。いつからか、そんなワクワクは僕から失くなったように感じる。

 

傘をさしていると孤独を感じる。隣までの距離は離れ視界が狭まり視線は下向き、横に知ってる人が居ても気づきやしない。前をよく見ようと顔を上げれば、かかる雨がうっとおしい。いっそ何も感じず何も気にせず濡れることができれば楽なのに、といつも思う。でも雨が降ろうが会社には行かなきゃならないし、びしょ濡れで電車には乗れない。体面が僕に傘をささせる。自分が本当に傘をさしたいのかわからなくなる。雨の日に傘をささず踊る人がいたっていいじゃない。雨の日の僕は孤独である。

 

雨は僕から自信を奪う。「降らせるなら僕の気分に合わせて降らせやがれ!」太陽にそう怒鳴ってやりたい。今は隠れてくれるな太陽。僕は傘をさす。我儘になりたい年頃だ。いつも晴れは調子が狂う。偶の雨も必要だ。僕の気分に合わせてくれ。少し寂しい気分の時だけ、少し降らせてくれれば十分だ。少しの変化と刺激があれば十分だ。それ以外は放っておいてほしい。我儘なのだ。自分の欲望は自分では決められない。"超"自分的な、"超自己"が僕の全てを決める。その日の気分も、その日の言葉も、その日のテンションも、その日の面白さも、その日のやる気も、僕は何も決められないのだ。僕の中の別の何かに従うしかない。その何かは僕をどうしたいのだろうか。夜にした決意は朝日とは逆に沈む。夜に描いた理想は、朝になり現実を知ると姿をくらます。理想と現実のギャップの豪雨を、僕の傘は防げているのだろうか。自慢ではないが僕の傘は生まれてこの方新調したこともなく、穴は空き柄は錆び雨なんて凌げやしない。できるのは顔を隠すくらいだ。ギャップに苦しむこの顔を、穴だらけの布でなんとかするのが精一杯だ。

 

ギャップの雨はまだ止む気配がない。傘を放り出したい衝動を抑えながら、ギリギリのプライドで柄を握る。とにかく今は晴れることを祈るばかり。それか、傘が要らなくなるよう"超自己"がしてくれるのを待つばかり、だ。

 

それかあとひとつ。ずぶ濡れのこの顔を、「水も滴るいい男」なんて言ってくれる人と出会うのを待つばかり、だ。